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Amiga

あみが

「アミガ(アミーガ)」とは、かつて存在した米国のパソコン会社。及び同社が開発したホビーパソコンを指す。
目次 [非表示]

概要

Amiga社

アタリ社員のジェイ・マイナーが1982年に設立したパソコンメーカー

創業当初はHi-Toroという社名だったが、同年内にAmigaに改名した。

1984年にコモドールの子会社となり、ホビーパソコンのAmigaシリーズを開発した。


Amigaシリーズ

Amiga社が開発し、コモドールが販売した16~32ビットのホビーパソコン

低価格ながら高度なグラフィック性能を有しており、当時としては3DCGを扱える唯一のパソコンだったため、ゲーマー用パソコンとして普及した。画像や映像の加工処理にも優れており、使いやすいGUIを搭載していたため、映像制作の現場でも広く活用された。


欧米では人気を博したが漢字などが使えなかったため、非アルファベットの国では普及しなかった。

日本でも普及はせず、コモドールジャパンが事業停止してからは入手困難となったが、一部クリエイターに熱心なファンがおり、CGアニメウゴウゴルーガ」やADVDの食卓」の開発にも使われた。

音楽家平沢進も熱烈なAmigaファンの一人だったことは有名。同氏はCG作品・音楽などの制作でAmigaを愛用しており、更にAmiga OS 4.0の起動音を作成・提供した。


歴史

アタリでゲーム機Atari2600やホビーパソコンのAtari800等を開発したジェイ・マイナーは、ワーナーに買収された後の経営陣と険悪になり、1982年にアタリを退社しAmiga社を設立した。

創業当初はゲーム機用ジョイスティック等の周辺機器ゲームソフトを開発・販売していた。

独立後もアタリとの繋がりは維持されており、アタリの出資の下でコードネーム「Lorraine」と呼ばれるハードウェアを開発していた。Lorraineは当初は新型ゲーム機として開発されていたが、開発が進むにつれ機能を肥大化させていき汎用コンピューターとして完成することになる。


しかし、1984年にAmiga社は資金難に陥り、更にアタリショックの影響で投資家グループが引き上げてしまっていた。当時アタリの経営は傾いており売却準備の段階に入っていたため、Amiga社への支援を継続することはできなかった。

そのためAmiga社はコモドールとの協議に入っていた。当時コモドールは創業者を追放したために技術者達に離反され開発力を失っており、次世代機を開発するための技術を探し求めていた。

1984年8月にAmiga社はコモドールの子会社となり、コモドール・アミガに改名した。


1985年7月に、コモドールはマイナーが開発した16ビットのホビーパソコン・Amiga1000を発売。

コードネーム「Lorraine」を改名したものである。

ライバル企業のアタリコープは数ヶ月先行してホビーパソコンAtariSTを発売しており、Amigaシリーズの北米での販売台数は70万台に留まったものの、ヨーロッパ市場では成功を収めた。両機種に熱狂的なファンがつき、聖戦と称した貶し合いが繰り広げられた。


1987年に、廉価版Amiga500とハイエンド版のAmiga2000を発売。

以後のAmigaは廉価版とハイエンド版を並行して展開する戦略を採り続けた。Amiga500はゲームパソコンとしてゲーマーから絶大な支持を受け、Amigaシリーズ中最大のヒット商品となった。


1990年には32ビット機になったAmiga3000を発売。

欧州市場において、AmigaシリーズはAtariSTを圧倒するようになっていった。

一方で、ビジネス用パソコン市場を席巻していたPC/AT互換機(Windows)とMacintoshの両機種がこの頃からホビーパソコン市場にも侵食するようになっていた。既にAmigaの性能は陳腐化しており、PC/AT及びMacとの性能差は逆転していた。


1991年に、Amiga500を基にしたマルチメディア機・Commodore CDTVを発売。

同時期のマルチメディア機の例に漏れず失敗に終わったが、そもそもCDTV自体が実質Amiga500にCD-ROMドライブを付けただけのハードであり、大半のAmigaファンはAmiga500用CD-ROMドライブの発売を待ちCDTVを買い控える判断をした。事実翌年にAmiga500用CD-ROMドライブが発売されたため、この時点でCDTVの存在意義は無くなったのだが、コモドールはCDTV-Ⅱを計画するなどCDTVに固執していた。


1992年に、ようやくPC/ATやMacに匹敵する性能に復帰したAmiga1200Amiga4000を発売。更に同年にAmiga500の後継機としてAmiga600を発売した。

しかし、Amiga600はコスト削減のためにテンキーや拡張スロット等が削除されており、利便性で劣っているにもかかわらずAmiga500よりも高価になっていた。結局Amiga600は1年足らずで販売中止となり、ミドルレンジに位置付けられていた筈のAmiga1200をローエンド機として展開せざるを得なくなった。

マーケティングの混乱と価格性能比の悪さが災いし、Amigaのパソコンとしての需要はPC/ATとMacに奪われ、ゲーマー向けの需要はAmigaよりも遥かに安価なメガドライブSNESといった家庭用ゲーム機に奪われるようになっていった。


パソコン市場を失ったコモドールはゲーム市場に焦点を絞り、1993年にゲーム機のAmiga CD³²を発売。

対象ユーザーが曖昧な「マルチメディア機」を標榜したCDTVが失敗に終わったため、CD³²は「ゲーム機」というコンセプトを明確にして販売された。

だが、結局は本機もAmiga1200にCD-ROMドライブを付けただけのハードであり、大半のAmigaユーザーは関心を持たなかった。

世界初の32ビットゲーム機だったが、リリースされたゲームソフトは旧Amiga用ゲームをマイナーチェンジしただけの移植版がほとんどであり、ゲーマーからの注目も集められなかった。


Amiga CD³²の失敗で最後の砦だった欧州市場も失い、1994年4月にコモドールは倒産

それに伴いAmigaシリーズの展開も終了した。


その後コモドール及びAmigaの版権は様々な企業を渡り歩いており、懐古趣味者向けにAmigaOneという後継機が開発され、細々と販売されている。


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