メンバー
- ユーリャ・ヴォルコヴァ(ジュリア)
- リェーナ・カーチナ(レナ)
概要
1999年、プロデューサーであるプロフイワン・シャポハロフのスカウトにより結成。2010年解散。
二人の女王様気質な性格やガチレズを彷彿させるパフォーマンスから、日本ではロシアのお騒がせユニットのキャッチコピーで語られていた。なお後述のドタキャンの件含めこれはシャポハロフが要求したことらしい。
2002年に世界進出を意識し全英語詩の楽曲を収録したアルバム「t.A.T.u.」を発売。楽曲群のクオリティの高さから世界中で人気を博す。
日本では2003年3月5日にメジャーデビュー。その人気は日本でも例外ではなくオリコンアルバムチャートで1位(通算三週)を獲得、発売から四ヶ月にしてミリオンセラーを記録した。
t.A.T.u.ドタキャン騒動
以前から世界中でドタバタを起こし話題になっていた二人だが、日本でも例外ではなかった。
2003年6月27日、ミュージックステーションに生出演。
しかしオープニングこそ普通に階段から降りて来てタモリとトークしたが、番組の途中で「番組に出たくない」と言いだしそのまま帰ってしまった。このせいで1アーティスト分の枠が丸々空いてしまい、急遽ゲストだったthee michelle gun elephantがもう一曲披露する事となった(「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」、もちろんリハなしぶっつけガチ生演奏)。この回は放送から10年以上経った今も「ミッシェルを称える伝説の回」と呼ばれ、Mステの歴史上最高のパフォーマンス、名場面の一つだと言われることも。
さらに後になって本来は2003年4月18日分の放送に出るはずだった事が発覚。この時は放送前にドタキャンし、代わりに森山直太朗が出演する事となった。公式には当時猛威を振るっていた「SARS(重症急性呼吸器症候群)」の流行のためということであり批判は少なかった。
実はテレビ朝日側もt.A.T.u.がドタキャンする事態は想定していたようで、両者とも緊急の事態に生演奏や弾き語りが出来る技量を持っていた事から番組のゲストに呼ばれた模様。
騒動後
結局、Mステに出る予定だった来日はカラオケ店で歌うだけで終了というなんともショボイものになった。
この騒動を境に日本での評価は一気に落ちる事となり、タモリ倶楽部の空耳アワーに彼女らの曲が投稿された際タモさんが、「出たなら出ろよ」「t.A.T.u.の曲は二度と送ってこないように」とぶちギレた。同年12月に予定されていた東京ドーム2days公演も「またドタキャンされるのではないか?」と危惧されていた。
結局当日二人はステージには来るものの、両日とも客席(キャパ5万)はガラガラだった。さらにその公演のチケット(定価5000円)が2000円位で投げ売り同然の形で転売されていた(普通この手の公演チケット転売価格は高くつくものである)というのは特筆に値するだろう。
彼女らの来日は日本側に大赤字を負わせただけで、デビューから一年足らずで日本でのブームは終息を迎える事となってしまった。この結果を受けて出資者はシャポハロフのクビを要求して実際にクビになった。
実はその後も2005年10月に新アルバムのPRに来日、うたばんに出演し、この時は普通に曲を披露していたりする。
ドタキャンの真相
実は2013年にドタキャンの真相について二人は語っている。
ドタキャンしたのはシャポハロフがそう命令したからだった。
もちろん二人は出ないといけないとは思ったが、当時はそのシャポハロフに完全に従属状態だったので逆らう事ができなかった。
何故そのシャポハロフがドタキャンを命令したかと言うと、スキャンダルを起して話題を作り注目を集めてさらに人気を高めようと目論んだからで、ロシアやヨーロッパで同じ手口で成功したから日本でもと皮算用したのである。
しかし日本人気質を読み間違った挙句、盛り上がっていた人気に冷水をぶっかけ、結局t.A.T.u.の二人だけが悪者となり、当然人気も一気に壊滅状態へとなってしまった。
帰国後そのシャポハロフとは絶縁している。クビになったのだから当然だけどね。
その後
2021年12月15日の今夜くらべてみましたでリェーナが16年振りに日本のテレビ番組に出演。
上記のドタキャンや現在について空白の18年間を語っている。
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関連動画
t.A.T.u. - All The Things She Said(2009年12月24日公開)
※Music video by t.A.T.u. performing All The Things She Said. YouTube view counts pre-VEVO: 5,405,015. (C) 2002 Universal Music Russia