1935年三重県生まれの映画監督、プロデューサー、翻訳家。スタジオジブリ所属。アニメ演出家出身だが、アニメーター歴はなく、基本的に絵は描かない。『柳川掘割物語』のような実写映画も作っている。
東京大学仏文科卒業後、当時日本映画の半分の収益を挙げていた東映の子会社・東映動画に入社。入社年次上後輩で太陽の王子以降共同制作者となった宮崎駿にとっては演出とそれを支える人文知の師である。
昭和四十~五十年代に宮崎・小田部羊一・大塚康生・森康二等とタッグを組んで後述する数々の名作を作った。昭和六十年ジブリを宮崎・鈴木敏夫等と共に設立、以前から作風の違いが顕在化していた宮崎とは同じスタジオに所属してはいるが別々に作品を制作している。
長年セル画アニメの絵に不満があり、『ホーホケキョとなりの山田くん』以降は、CG技術を活用することで、水彩画風のアニメを制作している。
人となり
宮崎駿の影に隠れてあまり目立たないが、高畑は宮崎が常識人にしか見えない規格外れの奇人である。ジブリでは傍若無人な行動で周囲に波紋を投げ掛けつつも、その底の知れない知性と圧倒的な才能で畏敬を抱かれる存在でもある。
大変な勉強家で、専門の映像芸術はもとより、歴史・思想・美術・建築などは、それぞれ専門家並みの解説ができるほどの知識がある。音楽は特にクラシック音楽に造詣が深く作曲も手がけており、ピアノ演奏も得意だという。仏文科出身だけあってフランス語にも堪能であり、翻訳家としての仕事もしている。
インターネット上の動画を見るのが好きで最近の芸能人や若手のミュージシャンなどもよく知っており、自作の出演声優は全て自らキャスティングしている。久石譲を見いだしたのは高畑であり、『風立ちぬ』のヒロインの声優瀧本美織は高畑が気に入っていたことから宮崎に紹介したものである。
主な作品
ジブリ以前
『パンダコパンダ』
『赤毛のアン』
『じゃりン子チエ』
ジブリ以降
『火垂るの墓』
『おもひでぽろぽろ』
『かぐや姫の物語』