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オットー・スコルツェニーの編集履歴

2015-05-26 21:25:21 バージョン

オットー・スコルツェニー

おっとーすこるつぇにー

オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny、1908年6月12日 - 1975年7月6日)とは、「ヨーロッパで最も危険な男」と称されたナチス・ドイツの軍人。

概要

ナチスドイツの武装親衛隊隊員。オーストリア(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)の首都、ウィーン出身。最終階級は親衛隊中佐


第二次世界大戦において、ヒトラー直属のコマンド部隊『第502SS猟兵大隊(通称:SSフリーデンタール駆逐戦隊)』の指揮官として、「グラン・サッソ襲撃(ムッソリーニ救出作戦)」や「7月20日事件」の鎮圧等に参加。


バルジの戦い」(アルデンヌ攻勢)では、アメリカ軍に偽装した戦車部隊を用いて戦線を攪乱する『グライフ作戦』を敢行、このとき連合軍の捕虜となった兵士に「部隊がパリを襲撃し、最高司令官のアイゼンハワーを誘拐または暗殺しようとしている」と言う偽の情報を垂れ込ませることにより、『ヨーロッパで最も危険な男』と称されるようになった。事実として、アイゼンハワーをこの偽情報によって司令部に何週間も閉じ込めさせた事は有名である。


戦後は捕虜として2年間収容された後に脱獄し、スペインに定住。1975年にマドリードで病死した。


登場作品

ムダヅモ無き改革

(注:麻雀で戦闘する世界を描いているため、以下の説明には麻雀用語が使用される)

第四帝国からの使者として登場。また、第四帝国の中堅としてパパブッシュと刃を交えることになる。コマンド部隊(特殊部隊)長としての能力は健在であり、その闘牌ぶりは大胆不敵かつ変幻自在。オヒキルーデル。必殺技は混老頭(オペレーショングライフ)、三色同刻(オペレーションパンツァーファウスト)、ルーデルとの連携戦術のアイヒ作戦/鉄十字砲火(バルケンクロイツ)。ツバメ返し。

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