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シャルンホルストの編集履歴

2015-11-12 23:22:10 バージョン

シャルンホルスト

しゃるんほるすと

Scharnhorst。ドイツの人物名及び船舶名で、船舶の方は装甲巡洋艦・戦艦・客船と存在するが、本項では戦艦と客船を解説する。

概要

シャルンホルストとは

  1. ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト。プロイセン王国の陸軍軍人。グナイゼナウとともに参謀本部という制度を築き、初代参謀本部総長となった。2.以降に命名されており、その際はグナイゼナウと共にされることが多い。
  2. 1.より名前を採られた、第一次世界大戦時のドイツ海軍シャルンホルスト級装甲巡洋艦一番艦。フォークランド沖海戦で姉妹艦グナイゼナウと共に沈没。
  3. 2.を襲名した第二次世界大戦時のドイツ海軍の戦艦。本項で解説。
  4. 第二次世界大戦時のドイツの大型商船。姉妹船にグナイゼナウとポツダムがある。日本に渡り空母神鷹に改造される。本項で解説。
  5. 1.より名前を採られた、西ドイツ海軍の138型教育フリゲート、もともとはイギリス海軍の改ブラックスワン級スループであるマーメイド。
  6. 3.を擬人化した漫画鋼鉄少女の登場キャラ。本項余談で解説。
  7. 3.を擬人化したゲーム戦艦少女の登場キャラ。本項余談で解説。

軍人

【図解奈翁帝國】シャルンホルストたんセンシティブな作品

プロイセン参謀本部の初代参謀総長で、後任のアウグスト・フォン・グナイゼナウと共に参謀本部制度を築く。ナポレオン戦争で活躍し、諸国民戦争ブリュッヒャー率いるシャルンホルストが改革したプロイセン軍はロシア軍と共にナポレオンとリュッツェン、バウツェンで戦い敗北するも、自軍を上回る損害を相手に与えた上で整然と後退し、今までのプロイセン軍との違いぶりをフランス軍に見せつけた。しかしシャルンホルストはリュッツェンの戦いで戦傷を負い、それが敗血症を引き起こした為に、怪我をおしてまでオーストリアの自軍陣営への参加要請のため赴く途上のプラハで死去する事となった。

「戦争論」で有名なクラウゼヴィッツにも多大な影響を与える。

身だしなみにこだわるプロイセン軍将校の中で、彼はだらしない格好でも平然としていた。粗野で傲慢な貴族将校が多い中、彼は知的で物静かで、常に憂鬱な雰囲気を漂わせており、ハノーファー訛りでぼそぼそと喋る様子は、まるで哲学者のようであったという。


装甲巡洋艦


第一次世界大戦の折のドイツ海軍の装甲巡洋艦でシャルンホルスト級装甲巡洋艦の一番艦。

前級のローン級装甲巡洋艦では4門であった21cm砲が本級は8門に倍増され、速力も21ノットから23ノットに増加している。


1908年に青島を拠点とする東アジア巡洋艦戦隊に編入。

1912年12月4日、東アジア巡洋艦戦隊司令長官マクシミリアン・フォン・シュペー中将の旗艦となる。

1914年8月3日の第一次世界大戦勃発の折はボナペに姉妹艦である装甲巡洋艦グナイゼナウ、軽巡洋艦ニュールンベルクと共にあり、11日にパガンに入港。後に軽巡洋艦エムデンと合流するも、13日の出港の折に通商破壊の為に分派。

9月22日、グナイゼナウと共にタヒチ島のパピーデを砲撃し、フランス海軍砲艦ディーレ撃沈。

10月12日にイースター島に入港。18日に出港するまでに軽巡洋艦ドレスデン、ライプチヒと合流。

11月1日、コロネル沖にて英海軍のクリストファー・クラドック少将率いる南米派遣艦隊と交戦。東アジア巡洋艦戦隊は損失艦なしで南米派遣艦隊旗艦装甲巡洋艦グッドホープモンマスを撃沈し、ドイツ海軍最大の勝利を得る。(コロネル沖海戦

12月8日、フォークランド沖にて英海軍のダブトン・スターディ中将率いる南太平洋・大西洋艦隊と交戦。巡洋戦艦インヴィンシブルインフレキシブルを擁する英艦隊の前にドレスデンを除く東アジア巡洋艦戦隊壊滅し、旗艦シャルンホルストはシュペー提督と共に撃沈された。(フォークランド沖海戦


戦艦

シャルンホルスト

第二次世界大戦時のドイツ海軍の戦艦で、シャルンホルスト級巡洋戦艦の一番艦。

巡洋戦艦に分類されている資料も多いが、これはイギリス海軍での分類上であり、ドイツ海軍では姉妹艦のグナイゼナウ共々「戦艦」に分類されている(そもそもドイツ海軍には「巡洋戦艦」という分類が存在しなかった。同様に巡洋戦艦を持たなかったアメリカ海軍も同艦を戦艦に分類している)。

しかし装甲は薄めで最大速度31.5ノットと英海軍の巡洋戦艦に近い性能だったため、英海軍が「巡洋戦艦」と見做すのも仕方のないことかもしれない。

主砲は280mm三連装砲が三基と、当時の戦艦としてはかなり控えめである。口径で言えば日露戦争の戦艦三笠よりも小さい。

もっとも計画の時点では380mm砲の搭載が予定されており、280mm砲九門搭載で完成した後も380mm砲六門に換える計画はあったのだが、実現はしていない。

基本構造は期間短縮のために第一次大戦時のマッケンゼン級巡洋戦艦の設計を一部流用しており、当時としては保守的な設計といえる。

また、ドイッチュラント級装甲艦で使用されていたディーゼル機関は信頼性と高速航行能力に難があったため採用されず、技術蓄積の多い従来型の機関が使用されている。

ただ、同級で採用された吃水下の三重構造化や巧妙な機関配置は継承されなかったため、本級は他国の戦艦に比べて対艦・対水雷防御能力では劣る。また前部甲板が波をかぶり易いという不具合に悩まされ、三回もドッグ入りしている。

シルエットが次のビスマルク級戦艦も似ているのは、遠くから発見されたときに見間違えられるのを狙ったものである。


第二次大戦では単艦行動の多かったドイツ海軍主力艦の中で姉妹艦グナイゼナウとペアで通商破壊を主任務としていた。

1939年11月23日グナイゼナウと共に英補助巡洋艦ラワルピンディを撃沈。

1940年2月、グナイゼナウ、重巡洋艦アドミラル・ヒッパー、駆逐艦二隻と船団攻撃の「ノルトマルク作戦」の為に出撃するも戦果無し。

4月にはノルウェー侵攻「ヴェーゼル演習作戦」に参加。ナルビク上陸部隊を乗せた駆逐艦10隻をグナイゼナウと共に援護し、9日英巡洋戦艦レナウンと交戦。上陸部隊から英軍の目を反らす任務を果たす。

更に6月、「ユノー作戦」においてグナイゼナウ、アドミラル・ヒッパー、駆逐艦四隻とノルウェーに出撃し、タンカーなど三隻を沈め、ヒッパー、駆逐艦隊を分離させた後の8日英空母グローリアスと護衛の駆逐艦アカスタアーデントをグナイゼナウと共同で沈めるドイツ海軍最大級の勝利を得るも、グローリアス沈没後も奮戦を続けたアカスタの魚雷で損傷を受ける。

1941年1月から3月までの大西洋での通商破壊戦である「ベルリン作戦」ではグナイゼナウと共に総計22隻の商船を撃沈・拿捕する大戦果をあげブレストに入港する。

1942年2月の「ツェルベルス作戦」では戦艦部隊司令長官オットー・チリアクス中将の旗艦を務め、ドイツ空軍との緊密な連携の元、持ち前の速力を生かして英海空軍の散発的な攻撃を潜り抜け、グナイゼナウ、重巡プリンツ・オイゲン、駆逐艦6隻、水雷艇14隻と共に白昼堂々とブレストからドーバー海峡突破を敢行し、二度にわたり触雷するもダメージコントロールの宜しきを得てドイツに帰還する事に成功。

1943年9月には「シチリア作戦」において戦艦ティルピッツ等と共にスピッツベルゲン島を艦砲射撃するも、12月26日、「東部戦線作戦」で戦闘グループ司令官代理エーリヒ・バイ少将の将旗を掲げ駆逐艦五隻と共にJW55船団攻撃に出撃。索敵の為に駆逐艦を分離した後に、待ち構えていた英本国艦隊旗艦である戦艦デューク・オブ・ヨークを中心とした英艦隊との交戦の末に撃沈された。

シャルンホルスト最後の海戦は「北岬沖海戦」と呼ばれる。

乗員1,669名のうち、生存者はわずか36名だった。

「呪われた戦艦」

本艦は「呪われた戦艦」と呼ばれることがあり、沈没時の生存者は皆無とされることもあるが、実際には36名が英独側により救出されている。また幾多の戦闘から生還し、ティルピッツを撃破した英海軍のX艇の攻撃の折は訓練で出撃していた為に難を逃れるなど、当時のドイツ海軍では強運の武勲艦とされていた。

「呪われた戦艦」のエピソードは出典が不明なものばかりで、実際の生存者数など事実と異なる部分も多いことから、殆どのエピソードがデマであるとされている。一説によると、オカルト雑誌に掲載された記事などがこれらの話の元になったとも言われている。


艦長

初代オットー・チリアクス(1939年1月7日~1939年9月23日)


二代目クルト・ケーザル・ホフマン(1939年9月24日~1942年3月31日)

ベルリン作戦ではHX106船団への攻撃を試みる際、艦隊司令長官ギュンター・リュッチェンスはグナイゼナウとシャルンホルストでの挟撃を計った。

ホフマンは船団護衛の戦艦ラミリーズを発見し、これを誘致して、その間にグナイゼナウに攻撃の機会を与えようとしたが、ラミリーズは乗らず、後で事の顛末を知ったリュッチェンスからは危険を冒した事と自軍の存在を暴露した事で叱責された。

「ツェルベルス作戦」では帰港の折にタグボートの助けなく入港する操艦手腕を見せた。


三代目フリードリヒ・へフマイヤー(1942年4月1日~1943年10月13日)


四代目フリッツ・ヒンツェ(1943年10月14日~12月26日)

画像左の人物

北岬沖海戦にてシャルンホルストと運命を共にした。

最後の乗組員への訓示は「最後に臨み、諸君の健闘を感謝す。さらば」であったと言う。


客船

1935年に完成したドイツの貨客船。

1939年に日本に寄港した際、第二次大戦の勃発でドイツに帰れなくなり神戸港に留まる事となった。

ミッドウェー海戦で正規空母4隻を失った日本海軍は商船や水上機母艦などを空母に改造していったが、このシャルンホルストも海軍が正式にドイツから購入し、呉工廠で空母に改造。

1943年12月に改造が終了し、神鷹と改名された。

1944年11月、対馬海峡付近で米潜水艦に撃沈されてしまった。

改造空母(神鷹)

 

【艦これ】史実で艦これ19【漫画1枚+イラスト3枚】

概要の3・4の混合ネタ(三ページ目)。

余談

しゃるぜな!

イカロス出版『MC☆あくしず』では戦艦シャルンホルストとグナイゼナウを擬人化したマスコットキャラクター「じゅんせん魔法少女シャル&ゼナ」が登場している。

しゃるぜなえにっきのタグも参照。

 

巡洋戦艦 シャルンホルスト

BattleshipGirl_鋼鉄少女北海のワルキューレに登場する擬人化された戦艦シャルンホルスト。主人公を勤める。外部リンク

 

Scharnhorst

戦艦少女に登場する擬人化された戦艦シャルンホルスト。沙恩霍斯特。

 

最近では『艦隊これくしょん』の影響で、オリジナル艦娘として戦艦シャルンホルストの艦娘のイラストも出てきている.

シャルンホルスト級1番艦 シャルンホルスト艦これ待望のシャルンホルスト実装!!シャルンホルストセンシティブな作品

四枚目のイラスト

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