人物
信州松代のど田舎で、下級武士の長男として誕生。啓之助は啓蒙しまくるかなりのクソガキであったらしい。
早くから開国論を唱え、西洋の科学技術の導入を主張、江戸の私塾象山書院や深川の松代藩邸で教え、勝海舟・吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬らが学んでいる。
彼自身、地震計や電気医療器を製作し、洋服も着用したと伝えられるが、幕府・朝廷に再三、開国策と公武合体論を説いたため攘夷派ににくまれ、京都で河上彦斎に暗殺された。
『象山先生詩抄』『荷蘭語彙』などがある。
なお名前については「ぞうざん」説と「しょうざん」説がある。生家の近所にあった山「象山」から取ったそうである。
正面から見ると、顔がでかくて耳が見えない。
「風雲児たち」において、「まずナポレオンならボクに引けは取るまい」と豪語する男として描かれる。