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核兵器の編集履歴

2020-05-08 18:39:47 バージョン

核兵器

かくへいき

原子核反応によるエネルギーを破壊に用いる兵器。

核兵器 とは 原子核反応核分裂核融合)で発生する高エネルギー破壊に用いる兵器の総称。


"The indefinite combination of human fallibility and nuclear weapons will lead to the destruction of nations." - Robert McNamara

核兵器と人間の愚かさとの曖昧な組合せは、国家を破滅に導くだろう。 ―― ロバート・マクナマラ


概要

  • 核物質を積んだ弾頭の部分と、それを運搬するための部分から成り立つ。
  • 原子核反応によって高熱爆風放射線が発生し、それらを破壊に用いる。
  • 実戦では第二次世界大戦アメリカ合衆国日本に対して使った2例のみである。(広島長崎
  • 後述する核戦争想定の演習で使用されており、アメリカ以外にもイギリスや旧ソ連中国の参加兵士も被爆しているものと思われる。アトミックソルジャーと呼ばれている。
  • 通常爆弾の代替として利用する平和的核爆発の研究も行なわれたが、汚染問題があり研究は中止されている。
  • 高高度で爆発させるなどすると人を直接殺傷はしないが、電磁パルスが発生してコンピュータ類が死ぬ。

分類

原理別


運搬手段・形態別

  • 核爆弾 - 航空機から投下することを前提に造られたもの。
  • ミサイル - ミサイルの先っぽに核弾頭を仕込んだもの。
  • 砲弾 - 砲弾の炸薬として核弾頭を仕込んだもの。
  • 魚雷 - 魚雷の炸薬として核弾頭を仕込んだもの。
  • 爆雷 - 爆雷の炸薬として核弾頭を仕込んだもの。
  • 地雷 - 地雷の炸薬として核弾頭を仕込んだもの。
  • 核爆破資材 - 工兵が使用する爆薬の炸薬が核弾頭に置き換わったもの。人の手で持ち運ぶ核爆弾。

用途別

  • 戦略核兵器

都市、軍事基地等の戦略的目標に対して使用される核兵器。

概して威力が大きく、ミサイル、爆撃機への搭載等、遠距離への攻撃が基本である。

  • 戦術核兵器

戦場において敵軍に対して使用される一般的な兵器の弾薬の炸薬を核弾頭に置き換えたもので、比較的威力は弱め。

冷戦期において、北大西洋条約機構ワルシャワ条約機構の対立が決定的になったとき、兵力で劣る北大西洋条約機構側が人海戦術で押し込んでくるであろうワルシャワ条約機構軍を足止めするために考案したのが始まり。

使い方としては、敵軍が攻め込んできたとき、まず核地雷を仕掛け爆弾のごとく炸裂させて敵軍を足止め、それでも止まらないようなら核砲弾を大量にぶちこんで敵軍を足止め、それでも止まらないようなら最後はデイビー・クロケットのような超短距離核弾頭を大量にぶちこんで敵軍を足止めするような感じである。

さらに核爆破資材を敵中へ隠密裏に仕掛けて炸裂させ、敵軍を混乱に陥れるような運用も想定された。

海においても、核爆発の威力の大きさから、核魚雷、核爆雷、艦砲用の核砲弾が製造された。


なお、勘違いされやすいが戦略核と戦術核の違いは威力ではない。米ソ間の核軍縮条約においては射程500km以上を戦略核、それ未満のものを戦術核としていた。つまり威力ではなく使用目的と運用方法によって分類している。

威力が大きな核弾頭を、そのまま地中へ埋めて核地雷にしてしまうような使い方も見受けられるため、『核出力が大きい=戦略核兵器』という括りにはならないのである。


核兵器ではない放射能兵器

  • 汚い爆弾(ダーティーボム) - 通常爆弾の爆発で放射性物質を拡散させ、放射線によって被害を与える。放射性物質どころか放射能汚染物質さえ手に入れば簡単に製作できるので、テロリストによる利用が懸念されている。

核保有国の意識

広島や長崎に核兵器を使用したアメリカ合衆国だが、当のアメリカ人の核兵器に対する意識は、高いとは言えない。例として、アメリカ映画に登場する宇宙人にはとりあえず通用しない。(例:『インデペンデンス・デイ』、『マーズ・アタック』など)また、映画『トゥルーライズ』に至ってはキスシーンの背景が核爆発である。


1950年代、アメリカは核軍拡を行っていた。その陰で広島や長崎の惨状は隠蔽され、放射能の影響などは知られていなかった。


これは公開されていなかった事と、単純に調査が進んでいなかった事の両方である。冷戦期にはアメリカでも核戦争を想定した演習が何度も行われ、中には核爆発直後の侵攻を想定した実験・演習も行われた。ネバダ核実験場で行われた「バスター・ジャングル作戦」は平行して「デザート・ロック」演習が行われている。核爆発直後の放射能汚染された土地に投入された兵士たちは後に放射能障害を多発し、彼らは『アトミック・ソルジャー』とよばれたが、その実態が明らかになるのははるかに後のことである。当時は『放射能汚染は爆発で発生するチリによるものなので、チリを払えば大丈夫』と考えられていた。実際にはそう簡単なものではなく、吸い込んだ空気や、土地の残留放射能により体を汚染される者が続出した。これはアメリカ合衆国ばかりではなく、核保有国の人々(反核運動が盛んなイギリスを除く)で原爆や核実験被害の実態を知っている人は少ないのが実情である。


同様の演習や核実験場の除染作業等で被害を受けた兵士はソ連中国にも居るものと推測されているが、実際には全く明らかになっていない


日本における意識

日本でも被爆直後から核兵器の恐ろしさが知られていたわけではない。占領下では広島・長崎の原爆被害の実態を公にすることはGHQに禁止されていたからである。原爆被害の惨状の写真が初めて公刊されたのは『アサヒグラフ』1952年8月6日号(朝日新聞社刊)であり、これにより初めて原爆被害の実相が知られるようになり、多くの日本人に核の恐怖を植え付けた。


その1年半後の1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験「ブラボー実験」で、第五福竜丸ほかの日本漁船が水爆の死の灰を浴び、乗員全員が放射線障害を発症、無線長だった久保山愛吉が死亡した。アメリカは日本に核実験の被害を報道しないよう圧力をかけ日本政府もこれに従って資料を公開せず隠蔽しようとしたが、日本の新聞は従わず、核実験の被害が世界で初めて広く知られるようになった。日本にとって広島・長崎に次ぐ3番目の核被害となったこの事件は日本を恐怖のどん底に叩き込み、映画「ゴジラ」が制作されるきっかけにもなっている。


なお、この「ブラボー実験」で水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、これにはじまる一連のビキニ環礁での核実験の被曝者は2万人を越えると考えられているが、アメリカ政府はまともな調査を行わず被害を隠蔽したため、その被害の全容はいまだに明らかではない。

関連タグ

 原子核反応 放射線 原子爆弾 水素爆弾 広島 長崎 デイビー・クロケット

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