概要
吉本興業所属の元芸人。1956年3月24日生まれ。京都府京都市出身。
本名:長谷川公彦
明石家さんまなどと並んで日本のお笑い界を牽引してきた人物である。
多才であり、司会者としての才能はかなりのものであった(ビートたけし曰く「司会では紳助には敵わなかった」とのこと。ちなみに、今もたけしは今田耕司が司会になった下記番組を彼なりにサポートしている)。
例をあげるとTBS『オールスター感謝祭』では司会者として200人のタレントを捌いており、その司会の話術は他の追随を許さなかった。
元々は漫才師であり、松本竜助と漫才コンビ『島田紳助・松本竜助』を組み漫才ブームを牽引していた。
漫才ブーム終焉後、当時はまだ無名に近い状態であったダウンタウンの漫才を見て自らのコンビの解散を決めた逸話は有名。
司会者としてアクが強い部分があり「クイズ!ヘキサゴン」や「行列のできる法律相談所」など、紳助の影響で徐々に番組の方向性が変わっていったとされる番組もあった。いわゆる「紳助カラー」を強く受けたといえる。
また、クイズ!ヘキサゴンの頃からは音楽を沢山リリースしていた。
この時の作詞は紳助(名義はカシアス島田)であり詩のセンスもあるのかも知れない。
番組や出演者への入れ込みぶりもあり、クイズ!ヘキサゴン出演者のいわゆるヘキサゴンファミリー=紳助ファミリーという評価をされることも多い。
2001年には漫才のコンテスト「M-1グランプリ」を自ら企画し、立ち上げを行っている。
…と、ここまでは良い事ずくめの内容を書いてきたが、特に2000年代後半以降、この紳助カラーに染まった番組は決まって同じような話(例:金、女、芸能人の秘密の暴露、スポーツ)に偏りがちなため、それらの話に興味がない視聴者からは煙たがられてしまう。またこのような傾向に対し、いくら何でも番組を私物化し過ぎているのではという批判も強かった。
「開運!なんでも鑑定団」は紳助の司会業が良い意味で生かされていた(※)数少ない例だったが、「行列の〜」に関しては番組の主旨である法律そっちのけで上記の話に強引に方向転換する傾向にあったため、むしろ紳助が番組をつまらなくしているという声もあった。
紳助が携わったプロデュース業は成功こそ収めたものの、ゲストへの乱暴な振る舞いや似たような傾向の番組が量産された事もあり、視聴者はおろか芸能界からもアンチが多く発生し、徐々に彼への逆風が高まっていく傾向にあった。
(※メイン司会者として重鎮の石坂浩二氏がいた事や、趣味性の高い番組内容であったことが理由と思われる)
そして2011年にはその視聴者が長年溜め込んでいた鬱憤が一気に爆発したかのように、同年7月「日経エンタテインメント!」で発表された『嫌いな芸人ランキング』でなんと9年連続1位だった江頭2:50を陥落させ、1位となってしまった。さらに昨年度5位だった好きな芸人ランキングでも16位にまで大幅に順位を下げてしまった。このあまりに生々しすぎる結果にドン引きした人も多かったとか。(上記の様に元々ヘイトを溜めていた上、東日本大震災後に世間の空気が大きく変化したことが切っ掛けとされる)
それから1ヶ月後の8月23日。突如会見を開き黒いお友達との関係が存在したことを告白、さらに芸能界からの即刻引退を告げ、その言葉通りに引退を実行した。
芸能活動と両立して飲食店経営や不動産事業などを手がけており、この過程においてそうした付き合いが深まって行ったと報じられた。
このことは多数の芸能人からのコメントが寄せられ
橋下徹前大阪府知事や当時の内閣官房長官である枝野幸男からもコメントがあったとされる。(橋本氏はかつて「行列のできる法律相談所」の出演者でもあった)
テレビ界でも影響力の強い島田紳助の引退は「クイズ!ヘキサゴン」などゴールデンタイムの番組の終焉にも繋がった。一方で最も紳助が不要との声が多かった「行列の〜」は逆に視聴率が上がっていたりする。最も「行列」も昨今はタイトルと番組内容がマッチしてないため視聴者から「殆どの時間が芸能人が好き放題やってて、法律の事は終盤の五分くらいしか扱ってない」、「弁護士の人達がお飾りみたいになっている。芸能人が好き放題やっている時間が長いので四人も弁護士を呼ぶ必要あるのか」、「今の路線で行くならタイトル変えろ」「紳助降板と同時に終わればよかった」と批判の的になってはいるが・・・
なお近年では番組タイトルの「法律」の字のサイズが申し訳程度に小さくされている。
また引退とともに自らが立ち上げたM-1グランプリからも手を引いているため、現在の同イベントには全く関与していない。
現在は副業であった会社経営を本業としつつ、ほぼ隠居のような生活を送っているという。
顔出しでメディアに出ることはないが、写真を出さない状態でのインタビューは稀に受けることがあり、髪も長髪になっているという。
復帰を望む声も多ければ、反対の声も多い。芸能界にもアンチが多い人物のため、人によって復活してほしいかどうかが真っ二つにハッキリ分かれる人物でもある。
なお大阪の中央区東心斎橋に本店を構えている『寿司はせ川心斎橋本店』(同系列の店は都内にもあり銀座の店舗のみ焼き肉屋)及び姉妹店にあたる『BAR HASEGAWA(バーはせ川)』は伸助自身がオーナーとして務めている店である。BAR HASEGAWAのみ会員制となっている
芸能界復帰について
島田紳助本人は芸能界復帰について「全く考えていないし未練もない」との事。またかつて吉本興業ホールディングスの社長であった大﨑洋(現在は代表取締役会長)と現社長の岡本昭彦から「是非復帰してほしい」という声もあったがいずれの期待にも応えていない。
吉本興業側が紳助の復帰を熱望する理由については、「紳助引退の影響が仕事・経営の両面で想像以上に大きく、若手だけでは挽回できなかったから」とされる。
しかし、2019年に発生したお笑い芸人闇営業問題では長髪をバッサリカットしテレビでおなじみのリーゼントヘアに背広姿で写真付きでネットニュース取材に応じたため「結局芸能界に未練があるのではないか」と疑問視する声も多かった。
2021年にはヘキサゴンファミリーのmisonoのYouTubeチャンネルでは飲食店での会話を、上地雄輔のチャンネルではカメラマン側として出演し話題を呼んだ。
それを受けて宮迫博之も自身のチャンネルでのコラボ出演を打診するが「今年65の人間はとっくに用済み」だと断った(misonoのチャンネルで顔出ししたのは夫を看病する彼女を応援する意味も兼ねてとのこと)。
さらに芸能界復帰も「一年に340日下痢していた(misonoのチャンネルでは『芸能界辞めて下痢が治った』とも)」「ベトナム戦争後にハワイに帰って過ごしている軍人に再びベトナム行けと言ってるようなもの」だと拒否反応を示し全否定をしている。
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上岡龍太郎:紳助が尊敬する芸人の一人で喋り方もかなり影響を受けている。紳助同様50代という若さで引退しているが、引退から20年以上経っても一切マスメディアに出ない姿勢を貫いている。そのため彼と親交のある大物芸人の葬式時の参列でしか現在の姿を見ることが出来ない。