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大山倍達の編集履歴

2021-10-16 05:27:58 バージョン

大山倍達

おおやまますたつ

空手家。極真会館創始者。漫画「空手バカ一代」で有名になった。

概要

大山倍達(1923年7月27日(旧暦6月4日)~1994年4月26日)

空手家。従来の伝統派空手が寸止めを旨としていたのに対し、実際に打撃を対戦相手に当てる「フルコンタクト空手」を提唱し、極真会館を創始した。

牛殺し手刀によるビール瓶斬り等で有名。

漫画空手バカ一代」(原作:梶原一騎 作画:つのだじろう影丸穣也)は(梶原の創作が多いが)彼の伝記である。


来歴

韓国戸籍では1922年生まれとなっており、実際の生年は1922年と推定される。日本統治時代の金堤市朝鮮)出身。出生名は崔永宜。父の承鉉は親日家で村長を務める富農儒教思想に凝り固まった厳格な家長であり、永宜はそんな父に愛憎半ばする感情を抱いて育った。


1939年、山梨航空技術学校へ入学するため来日した。松濤館流空手、剛柔流空手を学ぶが満足できず、伝統空手とは決別。

1941年、山梨航空技術学校受験に失敗し早稲田大学高等師範部に入学するが、太平洋戦争が勃発し徴用工として徴発された。


1945年、敗戦による混乱の中、朝鮮建国促進青年同盟に加わり在日本朝鮮人連盟との同胞同士の抗争に明け暮れた。

1946年、田中清玄媒酌人に智弥子夫人と結婚。佐藤栄作町井久之のボディガードを務める。

1952年、遠藤幸吉らと渡米してアスレチック・ショーの一座に加わり、アメリカ各地でレスラーや腕自慢の素人と異種格闘技戦を行う。自然石割り、ビール瓶の首を手刀で飛ばすなどのデモンストレーションも好評を博した。

1953年、帰国し、素手で牛を殺すデモンストレーションを盛んに行う。


1956年、西池袋豊島区)に大山道場が開かれる。

1957年、梶原一騎が空手修行のため大山道場に入門。

1964年、日本国籍を取得した。「大山」は書生として住み込んでいた大山家から、「倍達」は朝鮮の伝説上の王朝、倍達国から。国際空手道連盟極真会館を設立。

1971年、週刊少年マガジンで「空手バカ一代」が連載され、極真会館に入門志願者が押しよせた。

1980年、ウィリー・ウィリアムスアントニオ猪木戦に際し、「極真側が梶原を襲撃する指令を出した」という怪情報を梶原が信じ、大山に謝罪を要求したため絶縁。


晩年の大山は望郷の念が強まり、出自について隠すこともなくなっていた。

1994年、肺癌により死去。その後は大山の遺族や極真会館の指導者たちの間で内紛が続き極真会館は分裂。「真の後継者」を自認する団体も乱立している。韓国にも妻子がいた事が判明。


関連タグ

空手 極真 迫真空手 フルコンタクト 牛殺し 異種格闘技戦


飛鳥拳:アニメ版「空手バカ一代」の主人公。大山がモチーフの人物。

松尾象山:「餓狼伝」に登場する大山がモチーフの人物。

愚地独歩:「グラップラー刃牙」に登場する大山がモチーフの人物。ちなみに刃牙世界では大山は別にいる設定。

ダゲキ:大山がモチーフのポケモン。片方の眉毛を剃り落としている。

龍虎の拳タクマ・サカザキは大山が元ネタ。また、リョウ・サカザキロバート・ガルシアの元ネタは極真会館の山崎照朝(日大の竜)と添野義二(城西の虎)。一作目のボーナスゲームには「ビール瓶切り」がある。

空道K-1:極真会館出身者により設立。

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