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シモ・ヘイヘの編集履歴

2012-02-17 13:31:00 バージョン

シモ・ヘイヘ

しもへいへ

シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä、1905年12月17日~2002年4月1日)とは、フィンランドにかつて存在した、人類史上最強のスナイパーの一人。

存在がチートと言われるムーミン谷が生んだ白い死神

ムーミン谷はさすがに冗談だが、白い死神という二つ名はガチ。

概要

冬戦争(1939~1940)において、スコープなどもついていないモシン・ナガンを愛銃とし、雪原に溶け込む白いギリースーツで「白い死神」の異名を取った。

その狙撃精度は凄まじく、300メートル以内では確実にヘッドショットを決めるという。


夜間でも司令部からトイレに行くまでの数十メートルのあいだに司令官を狙撃したりしている。

訓練過程において150mの距離から一分間で16発の射的に成功した(モシンナガンの装填数は5+1発)という逸話まである。


また、2000人のソ連兵相手にして三十人程度で勝利したりもしている。

狙撃人数は確実なものだけでも500人を超えており、二位以下を大きく引き離している。

また、狙撃だけでなくサブマシンガンの扱いも非常に得意で、それを含めると殺害人数は1000人を余裕で超えるとか何とか。


しかし防寒着の背中を砲弾の破片によって切り裂かれた以外、ほぼ負傷した事がなかった

ヘイヘも、遂に赤軍兵士の凶弾によって左上顎を撃ち抜かれる重傷を負う。

撃たれた直後に意識を失った。

狙撃した相手は仕留めたと思ったようで、既に立ち去っていた。

幸いにも長距離偵察に出ていた味方に発見され、一命を取り留める。

(収容した兵士いわく「頭が半分なくなっていた」)


負傷から一週間後に意識を回復するも、冬戦争はその前日に終結していたのであった・・。

これらの戦歴は参戦してから負傷するまでの約100日間の出来事である。


ホントに人間かコレ

ザミエルとでも契約していたのだろうか。

驚くべきはこれがラノベ漫画のキャラではなく、実在した人物だというところ。

余談ながら、あまりのチートっぷりに彼は戦後に五階級特進というラノベや漫画も真っ青の昇進を遂

あげている。


同戦争ではスロ・コルッカという似たような経歴を持つ狙撃主が居り、彼の活躍を知った彼は途中から確認戦果を記録する様になる


冬戦争後は、猟犬ブリーダーとして余生を過ごしつつ2002年に老衰でこの世を去った


多くの人間の命を奪ったことに関しての後悔は無いようで、「やれと言われたことを、可能なかぎり実行したまでだ」と答えている。


チート軍人の代表格のひとりで、他に有名なところでいくと

  1. 同国のスロ・コルッカ
  2. 空の魔王ルーデル閣下
  3. 公刊の戦史である「戦史叢書」に唯一その個人名を残す不死身の鬼軍曹舩坂弘軍曹
  4. 大空のサムライこと坂井三郎中尉
  5. 最強の零戦パイロット岩本徹三中尉など。

Q.「ところで、なんでそんなに狙撃出来るんですか?」

A.「練習だ。

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冬戦争 リアルチート

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