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冬戦争

ふゆせんそう

1939年11月にソ連がフィンランドへと侵略した戦争。フィンランドは領土を一部喪失したが、ソ連軍に対して大打撃を与えることに成功した。
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概要

冬戦争(ふゆせんそう、フィンランド語:talvisota、ロシア語:Советско-финляндская война)は、1939年11月にソ連フィンランドへと進行して勃発した戦争で、両国の領土問題(スターリンからの一方的な領土割譲要求)に端を発した。この後に続く第2次戦争は「継続戦争」とも呼ばれる。圧倒的な物量と人命軽視のお国柄を生かして人海戦術を展開するソビエト連邦軍に対し、フィンランド軍は絶望的な兵力差がありながら、地形を利用した焦土作戦・ゲリラ戦術・他国では既に2戦級の輸入兵器・ソ連からの鹵獲兵器のレストア品を駆使して戦い抜いた事で知られている。


経緯

背景

発端は第二次世界大戦勃発直後にまで遡る。独ソ不可侵条約に伴う秘密議定書に規定された独ソによる東欧分割に基づき、ドイツはポーランドへ侵攻してこれをソ連と分割し、ソ連はバルト三国に相互援助条約を強制的に結ばせ自らの勢力圏に組み込んだ。

しかしソ連は不可侵条約をドイツと締結したものの、東欧侵略を公然と掲げるヒトラースターリンは端から信用しておらず、またドイツが秘密議定書にてソ連の権益圏とされたフィンランドを拠点としてソ連に侵攻する可能性を危惧していた。その為、フィンランド国境にほど近い重要都市レニングラード(現サンクトペテルブルク)の防衛が喫緊の課題となった。

これに先立ち、スターリンはレニングラードからフィンランド国境を遠ざける事で地理的・距離的な余裕を設けておこうとした。即ち、フィンランドにカレリア地峡を割譲させようと企んだのである。

カレリア地峡に加えてレニングラードが面するフィンランド湾の島々、北極海の不凍港ムルマンスクにほど近いルィバチー半島及びそこへ繋がる領土の割譲、フィンランド湾口にあるハンコ半島の租借、アハヴェナンマー諸島(オーランド諸島)のソ芬共同での要塞化工事、そしてソ連軍の国内駐留なども要求し、その見返りとして多額の経済援助を行う事、フィンランドに要求した以上の面積の領土をソ連側から割譲する事を約束するなどしてフィンランドに交渉を持ち掛けたが、当然ながらフィンランド側にとってこの要求は属国化に等しく、到底受け入れがたいものであった。フィンランド政府は終始強硬姿勢を貫き、対するソ連側はあくまでも平和的解決にこだわり粘り強く交渉を続けたものの、結局1939年11月3日に交渉が決裂した。


開戦

同年11月26日に「マイニラ砲撃事件」(ソ連による自作自演攻撃)が発生し、11月30日にこの事件を「フィンランド側の挑発及び敵対行為だ」として、ソ連はそれまでフィンランドと交わしていた不可侵条約や協定を一方的に破棄し、同国に対する侵攻を実行する。これが冬戦争の始まりであり、12月1日にソ連占領下のテリヨキ市街にて、ソ連への亡命フィンランド人であるフィンランド共産党オットー・クーシネンによる事実上の傀儡政権「フィンランド民主共和国」が樹立され、フィンランド国内にいる共産主義者を離反させようとした。しかし「スターリンによる大粛清」から逃れた者たちによってソ連の実情は知れ渡っており、画策は失敗に終わった。「危険人物たち」は全て牢屋に繋がれており、国内の活動も違法となっていたのだ。

それどころか残った社会主義・共産主義者たちは団結し、「投降してもきっとシベリアで殺される。どうせなら国の為に死ぬまで戦おう!」と覚悟を決める結果となった。


こうして士気・戦意とも旺盛に団結したフィンランド軍各所でソビエト連邦軍部隊を撃破し、銃も揃わない兵士たちは倒した敵軍の兵士の銃を奪い、また更に倒していった。ついでに言うと軍服すら揃わなかったのだが、盛んなゲリラ戦術(モッティ戦術)でもってソ連を追い詰めていった(スオムッサルミの戦いラーッテ林道の戦いコッラー川の戦い等)。対フィンランド戦を甘く見積もったソ連が準備不足のまま侵攻してきた事やスターリンの大粛清によって当時のソビエト連邦軍がまともに機能していなかった事もフィンランド軍には幸いした。


この勇敢な戦いが知られるのは、外国の特派員が雪中の奇跡として報道してからである。これを受けて世界中から支援が寄せられたが、決定的な有利には至らなかった。一方では援軍でもって介入しようとする動きもあったが、戦争に巻き込まれる事を嫌ったスウェーデンデンマークによって拒絶されてしまう。


講和

1940年3月13日に消耗しきったフィンランドはモスクワ講和条約を締結し、これによって産業の一大中心地を含む国土の1割を割譲させられる事となった。独立こそ守ったものの、その代償は大きなものだった。領土を失ってナチスドイツのスカンジナビア侵攻・スウェーデンの中立の維持により、フィンランドは国際的な立場を失っていく。アメリカなど連合国との物理的距離も遠のき、枢軸国と社会主義国にも囲まれ、中立の維持は無意味となっていった。結局軍事援助を欲したフィンランドは(皮肉にも当初スターリンが危惧した通り)ナチスドイツに接近し、失地奪還を目指してソ連と敵対する道を選ぶのである(継続戦争)。


投入戦力比

フィンランドソビエト連邦
歩兵25万100万
戦車30両6541両
航空機130機3800機

なお前述の通り、フィンランド側の車両は基本的に他国から購入した型落ち品である。


余談

  • 日本は、ソ連の脅威に対抗するためにフィンランド軍に新見清一などによって構成された視察団を派遣した。視察団は、フィンランド軍が善戦した理由として「精神的な団結心、勇敢さのほか、スキー使用及び錯雑地形の行動への習熟、寒地への慣れ、個人の教養の高さ」(引用)を指摘している。
  • ソ連軍はこの冬戦争で多砲塔戦車T-28SMKT-100を実戦投入したが(T-35は冬戦争での実践記録は無い。)、これらの戦車は森林・雪溜まりにはまり込んで行動不能になる・対戦車砲や火炎瓶による待ち伏せ攻撃を受けて撃破されたりと散々な有様で、SMKとT-100は正式化は見送られる事となった。T-28に至ってはフィンランド軍に鹵獲され、貴重な戦力として運用されていたりもした。
  • 当時国防人民委員(国防大臣に相当)を務めていたヴォロシーロフが戦後、宴会でスターリンに冬戦争での惨敗を厳しく非難された際、「全部あんたのせいだ! 軍の古参連中を全滅させた張本人はあんただ! 我が軍の最良の将軍たちを殺したのはあんただ!とあろう事か本人の目の前で料理をぶん投げながら怒鳴ったエピソードは有名。なおその後ヴォロシーロフは更迭されたものの粛清を免れ、スターリンよりも長生きした。

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