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TM_NETWORKの編集履歴

2023-10-06 08:56:01 バージョン

TM_NETWORK

てぃーえむねっとわーく

TM NETWORKとは、日本の三人組音楽ユニットである。

概要

前身バンド『SPEEDWAY』を経て1984年にデビュー。

当時としては画期的だったシンセサイザーやコンピューターを多用したデジタルビートを主軸としている。

デビューアルバムに収録された楽曲のほとんどは、当時在籍していたレコード会社に送ったデモテープからの楽曲。

この頃は当時流行していた洋楽のジャンルであるニューロマンティックの影響を色濃く受けていた。

デビュー当初は2年ほど鳴かず飛ばずが続いたが、1987年2月にアルバム『Self Control』がスマッシュヒットし人気に火が着き、2ヶ月後にはテレビアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲『Get Wild』のシングルが大ヒット。

初のオリコン・シングルチャートのトップ10入りを記録しついにブレイクした。

その後も、シンセポップやテクノポップなど様々なジャンルの楽曲を生み出し、1980年代後半のJ-POPをけん引し、その影響は90年代以降の音楽にも及んでいる。

所属レーベルはEpic/Sony Records(現Epic Records)→TRUE KiSS DiSC (Sony Music Entertainment)→ROJAM ENTERTAINMENT→R & C JAPAN (吉本興業)→avex trax→M-TRES→Sony Music Labelsの順に移籍。



略歴


結成~デビュー

1983年の時点で既にロックバンド『SPEEDWAY』を脱退していた小室哲哉木根尚登を「共同で外国人ボーカリストに曲を書くプロジェクトをやらないか」と誘ったのが全てのきっかけとなる。

やがてその外国人ボーカリストは滞在ビザが切れて強制国外退去となり当初の計画は頓挫するが、木根が当時既に活動停止状態だった『SPEEDWAY』から宇都宮隆をメインボーカルとして引き抜く形で『TM NETWORK』を結成。

ユニット名にある『TM』は小室の発案によるネーミングである。

アメリカのバンド『シカゴ』のように地域性を出そうと云う小室のアイデアで『立川ボーイズ』だの『多摩丘陵』だの『タマ・ズー』だの『タマ・ノ・コシ』と適当にネーミング案を出していくうちに、木根尚登が当時流行っていた『メン・アットワーク』の語感から「ネットワークって言葉は使えないかな?」と提案したところ、小室は自身の出身地である三多摩地区に強い拘りがあったために、最初は『TaMa NETWORK』と名付けた。

が、宇都宮隆の「でも、タマはカッチョ悪くない?」の一言により略して『TM NETWORK』となった。

そして3人は『TM NETWORK』としてコカ・コーラ主催のフレッシュサウンズコンテストに出場し、『1974』を演奏してトップ成績で優勝したことでEpic/Sony Recordsよりメジャーデビューが決まった。

Epic/Sony Records側の意向により再ネーミングが検討され『スロー・ダンサー』『メロー・イエロー』『ジェニファー・ジェニファー』『ピーカーブー』等のネーミング案が出されたが、結局『TM NETWORK』を覆す程の名前が出ることはなく、小室のアイデアで「TMはTime Machineの略」と云う設定にされたことでEpic/Sony Records側も納得した。

そして翌1984年4月21日、『TM NETWORK』はEpic/Sony Recordsより1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』と1stシングル『金曜日のライオン』の同時発売でメジャーデビューした。



ブレイク~TMN終了

その後は2年ほど地道な活動を続けるもヒット曲には恵まれなかったが、1986年1月に小室が渡辺美里に楽曲提供した『My Revolution』が大ヒット。同年4月21日に発売した12インチシングル『Come on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)』で現在も続く『FANKS』というキーワードを提唱し、6月4日発売の3rdアルバム『GORILLA』ではオリコンで20位以内にランク入りし、大きく売り上げを伸ばす。

翌年1987年2月26日発売の4thアルバム『Self Control』がアルバム作品で初のオリコンベスト10入りで最高3位とスマッシュヒットし、続く4月8日発売の10thシングル『Get Wild』がアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲として採用されるやシングルとして初めてオリコンベスト10入りを果たす大ヒットとなり、6月24日開催の武道館公演『TM NETWORK FANKS CRY-MAX』のライブチケットは即日ソールドアウトする程になる。


1988年に第39回NHK紅白歌合戦に『COME ON EVERYBODY '88 FINAL MEGAMIX』で出場する。

1990年8月28日、「TMNリニューアル宣言」により『TMN』に改名。

同年9月28日22ndシングル『TIME TO COUNT DOWN』を、10月25日には7thアルバム『RHYTHM RED』をリリースしプログレッシブ・ロックハードロック路線を打ち出し、これまでとは異なるイメージを展開した。

1994年4月21日に28thシングル『Nights of The Knife』発売と同時に「TMNプロジェクト終了宣言」と題して解散を表明。同年5月18日と19日に東京ドームで開催された終了ライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』は予約開始早々に電話回線がパンクする程のチケット争奪戦になった。



TM NETWORKとして復活、そして…

1996年12月12日に発売したベストアルバム『TIME CAPSULE -all the singles-』のボーナストラック曲『Detour』を3人の連名で制作。

1997年には小室が出演したラジオ番組等で「TMN復活」を示唆する発言をする。

1999年7月21日に「全ての環境が整った」として、小室が古巣のSony Music Entertainmentにてプライベートレーベルとして発足したTRUE KiSS DiSCより5年ぶりに『TM NETWORK』の名で再始動。

翌年の2000年7月には小室が香港を拠点に起業した音楽エンタテイメント企業のROJAM ENTERTAINMENTに籍を移しインディーズとして活動をすることになる。


だが、これがいけなかった。


2000年にはROJAMから『TM NETWORK』として三枚のシングルと、再始動後初のオリジナルアルバム『Major Turn-Round』を当時まだまだメジャーではなかったインターネット通販によりリリースし、12月から全国ライブツアーも敢行するが、ROJAMは様々な商業的失敗による経営難から吉本興業に買収されることに。


所謂「吉本暗黒期」の始まりである。


2002年に『TM NETWORK』は小室のビジネス失敗のゴタゴタに巻き添えになる様な形で吉本興業のR & C JAPANに移籍することに。

2004年にはデビュー20周年記念として大々的な活動が期待されていたが、小室が当時傾倒していたトランスミュージックとファンが『TM NETWORK』へ求める音楽の剥離が激しく、発表された20周年記念アルバム『NETWORK™ -Easy Listening-』は過去曲のトランスアレンジの寄せ集めに新曲が少し足されただけ(しかも小室のトランス趣味全開のインスト曲ばかり)と云う有り様だった。

更に20周年記念ライブツアーでのステージ上の小室の格好はと云えばTシャツ一枚にジーンズ姿と云う、かつての作り込まれたステージ衣装に身を包んでいた全盛期の頃の姿に比べ、あまりにもみすぼらしいラフな格好であり、演奏もキーボードは殆んど弾かずに機材のツマミを弄ってばかりの所謂DJスタイルで、古参のファン達を大いに落胆させた。

こうして『TM NETWORK』の20周年は僅か2ヶ月程度と呆気なく短期間で終わり、小室は同年の秋から始まる『globe』の10周年記念ライブツアーに向けて注力していた。


それから3年のブランクを挟む形で2007年10月31日にシングル『Welcome Back 2』と12月5日にアルバム『SPEEDWAY』をリリースし、パシフィコ横浜でのライブを皮切りに渋谷公会堂と武道館でライブを行い、続く2008年春には全国ライブツアーを行う。

2009年のデビュー25周年に向けての活動が期待されていた。


…しかし2008年11月4日、小室哲哉が5億円詐欺容疑で逮捕

これにより『TM NETWORK』の25周年に向けた予定は全て白紙になり無期限活動休止を余儀なくされる。

吉本興業からも契約を打ち切られ、宇都宮隆と木根尚登はCDをリリースする際には個人事務所のインディーズレーベルから発売するか任意のレコード会社と短期間限定契約を結ぶといった、所謂フリー状態になる。



30周年に向けて再始動~そして現在

2009年5月に大阪地方裁判所より小室は懲役3年、執行猶5年の有罪判決が言い渡され、これに小室の弁護側と検察側は控訴せず刑が確定。

この一件で小室と長期間絶縁していたはずのエイベックス社長の松浦勝人が「かつて小室さんに世話になった恩返し」として、ポケットマネーから詐欺事件の被害者に解決金を含めた6億5000万円を支払い示談を申し込む等、精神的にも経済的にも小室は救われる形となり、更に仲違いしていたエイベックス副社長の千葉龍平とも和解し、エイベックス所属のミュージシャンとして復帰する。

2012年2月に『TM NETWORK』はテレビ番組『SMAP×SMAP』へゲスト出演。3月には幕張メッセでのイベントに参加。そして4月24日に『TM NETWORK』は正式にavex traxへ移籍し、シングル『I am』をリリースと同時に『Incubation Period』と題した武道館2Daysライブを行い、デビュー30周年に向け本格的に活動再開。

2013年には宇都宮隆の膵臓の病気が見つかり手術をするという災難があったものの、さいたまスーパーアリーナで7月20日と21日に『FINAL MISSION -START investigation-』と題した2Daysライブを行い成功させる。

30周年メモリアルイヤーとなる2014年になると、春にセルフリプロダクションアルバム『DRESS 2』を、秋には待望の2枚組オリジナルアルバム『QUIT 30』を続けざまにリリースし、ライブツアーも春と秋の2シーズンに渡って敢行する。

こうしてTM NETWORKの30周年を記念した活動は2015年の3月21日と22日に横浜アリーナで開催された『30th FINAL』の2Daysライブまで続き、20周年の時以降ずっと辛い思いをしてきたファン達の鬱憤と雪辱を晴らしたのだった。


デビュー30周年の活動が一段落した後、3人は各々自身のソロ活動を重視したペースで活動していた。


2017年には『Get Wild発売30周年記念』と題して、CD4枚組で36曲全てが『Get Wildという「数の暴力」を謳った『GET WILD SONG MAFIA』というトンデモ商品を発売した。


…しかし2018年、小室は美人看護師との不倫スキャンダル週刊文春によって報じられてしまう。

この文春砲によって小室は自棄を起こし、エイベックス代表取締役の松浦勝人の制止も聞かずに記者会見を開き、その場で芸能界と音楽業界からの引退を発表。

これにより、またもや『TM NETWORK』は無期限活動停止になるのだった。


2019年には宇都宮隆がソロで『TM NETWORK』の楽曲ばかりを歌う『Dragon The Carnival』と題したライブツアーを敢行。『TM NETWORK』の35周年を祝いたかったファン達の気持ちに応えた。


2020年になると、小室は秋元康と松浦勝人の依頼に応える形で限定的に作曲を行って現場復帰するものの、『TM NETWORK』としての活動に関しては明言しなかった。

しかし翌2021年、小室は「今しばらく音楽をやらせてください。働かせてください。」と云うコメントを世間に向けて発信し、自身の本格的な音楽業界への現役復帰を報告するとともに『TM NETWORK』として3人での音楽活動も再開する事を発表した。


楽曲

アニオタには『シティーハンター』ED曲の『Get Wild』と『STILL LOVE HER※』の他にも、劇場版アニメ『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』のEDテーマ曲である『BEYOND THE TIME』でもなじみ深い。

※『シティーハンター2』後期ED曲。「ハーモニカ撫でておくれ」のぎなた読みでも知られる。


福岡県民にはテレビ西日本の天気予報のBGM『Fantastic Vision』が有名。(かつては同局の放送開始映像に使われていた)


鈴木亜美のカバーで有名な『Be Together』や、後藤久美子沢口靖子のW主演ドラマの主題歌になった『Resistance』、宮沢りえ主演の映画『ぼくらの七日間戦争』の主題歌『SEVEN DAYS WAR』と挿入歌『GIRLFRIEND』等の有名なタイアップ曲も数多くある。

TMN時代にはmaxellのカセットテープの『THE POINT OF LOVERS' NIGHT』と『TIME TO COUNT DOWN』、ハウス食品オー・ザックの『RHYTHM RED BEAT BLACK』、カメリアダイヤモンドの『LOVE TRAIN』等のCMタイアップ曲が多くなった。



pixivでは本人たちの似顔絵などの他、4枚目のアルバム『Self control』のジャケットのパロディイラストが散見される。


正規メンバー

1984年の結成から一度もメンバー変更が行われていない。

  • 小室哲哉:シンセ、ピアノ、キーボードetc.
  • 宇都宮隆:Vo.、ギター
  • 木根尚登:コーラス、ギター ※後に、初期の頃はアコースティックギターのみでエレキギターが弾けずエアギターだったが練習して克服したとカミングアウトしている。

サポートメンバー

関連人物・グループ等

  • 川内康範 - SPEEDWAY時代に『Rockin' on the 月光仮面』の許可を取りに行った際、自身が作詞/作曲した『ジーパンはいた赤トンボ』、または『山あり谷あり』のどちらかの曲をB面にするよう条件を出す。結局、『山あり-』が選択され、リリース時に『ダンシング・ライダー』のタイトルで収録された。
  • 日詰昭一郎 - ライブ時のサポートに止まらず、小室のラジオ番組に『ドクトル日詰』としてレギュラー出演、また3人と音楽ユニット『ハンバーグ&カニクリームコロッケ』を結成してボーカルを担当するなど活躍した。2001年に43歳の若さで死去。
  • FENCE OF DEFENSE - 北島健二(G)、西村麻聡(B)、山田わたる(D)によるスリーピースバンド。メンバーが個別、または全員でサポートを務めたことがある。
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