PL学園で清原和博と「KKコンビ」で甲子園優勝に貢献。
1985年に読売ジャイアンツからドラフト指名を受ける
2007年には読売ジャイアンツを退団して渡米し、ピッツバーグ・パイレーツに移籍し、同年現役引退を発表した。
その後野球解説者のかたわら、大学院に入り直してスポーツ科学の理論を学び直し、根性論に傾きがちな日本のスポーツ界に警鐘を鳴らす著作活動などもしており、特に体罰による指導を「指導者が怠けているだけ」「体罰では選手が萎縮し逆効果」などと痛烈に批判している。
高校野球全国大会での春夏通算20勝はいまだ破られていない記録である。