概要
語源は戦国時代の1582年、時の天下人であり、天下統一は時間の問題とされた織田信長が家臣である明智光秀に討たれ死亡(本能寺の変)。光秀は当時の都である京を支配下に置き、天下を掌握したかのように見えたが、その直後に同じ織田家の重臣であった羽柴秀吉に敗れ、命を落としたことから、非常に短い期間しか天下を取れなかった、もしくは短期間で天下を他人に奪われることのたとえで用いられる
例:「巨人はセ・リーグのペナント争いで首位に立つものの、わずか1試合で首位陥落となり三日天下だった」等
ちなみに明智光秀が信長を本能寺で討って、秀吉に敗れて命を落とすまでの期間は11日間(ないし12日)であり、正確に言えば「十一日天下」であり、文字通りの三日で敗れたわけではない(この間の詳細については本能寺の変と山崎の戦いを参照)。よって3日以内で天下を奪われても、3日以上だった場合でも慣用句的に3日天下と呼ばれる
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織田信長 天下を奪われた人 その1
明智光秀 天下を奪われた人その2 及び 天下を奪った人 その1
羽柴秀吉 天下を奪った人 その2