概要
14隻建造された5500トン型軽巡洋艦の最終型である川内型軽巡洋艦の1番艦。名称は九州南部を流れる川内川に由来する。
1923年10月30日進水。1924年4月29日竣工。
特徴としては前モデルである長良型と違い四本煙突を持つ事。そしてさらに川内のみの持つ特徴として艦首形状がスプーン・バウのまま。改装後は川内のみ四本煙突の高さが揃えられている(同型の神通・那珂は艦種がダブルカーブド・バウに改装され煙突は一番前の煙突が一つだけ高いまま)。ただし公試成績では川内が一番速度が速く、機関出力も高かった。
また武装も神通と那珂は九三式酸素魚雷を用い次発装填可能な九二式四連装魚雷発射管二基を装備(換装)していたが川内は就役当初からの八年式連装魚雷発射管四基のままだった。
太平洋戦争開戦時からはエンドウ沖海戦やミッドウェー海戦、第三次ソロモン海戦などに参加。主に第三水雷戦隊の旗艦として麾下の駆逐隊を指揮する仕事に従事した。戦闘や襲撃に見舞われる事は有ったが被弾・損傷は比較的少ない方だった。
1943年11月2日、ブーゲンビル島沖海戦で米艦隊と交戦し運が尽きたのかここで被弾や故障に大量に見舞われ、最後の足掻きに機関の損傷覚悟で海水注入を行い再起動を試みたが動力伝達部であるスクリューシャフトそのものが折れていた為艦の放棄を決意せざるを得ず沈没。