治世の能臣、乱世の奸雄
ちせいののうしんらんせいのかんゆう
曹操の二つ名
曹操は、若くして機知・権謀に富んだが、放蕩を好み素行を治めなかったため世評は芳しくなかった。ただ太尉の橋玄は「天下は乱れようとしており、当代一の才の持主でなければ救う事はできない。天下をよく安んずるのは君である」などと曹操を高く評価した。また、橋玄が紹介した月旦評で有名な後漢の人物鑑定家の許子將(許劭)は、「子治世之能臣亂世之奸雄」(子は治世の能臣、乱世の奸雄(姦雄))または「君清平之奸賊亂世之英雄」(君は清平の奸賊、乱世の英雄)と評した。曹操は後に橋玄を祀り、かつての恩義に報いた。