六代目山口組(ろくだいめ やまぐちぐみ)は、兵庫県神戸市灘区篠原本町に本拠を置く日本の指定暴力団。
大正4年(1915年)、山口春吉が、神戸市兵庫区西出町で港湾労働者50人を集めて、港湾荷役人夫供給業「山口組」を結成したのが起源である。
組織概要
組員は2010年3月現在で組長(親分)、舎弟(弟分)7人、若中(子分)79人の計87人である。 組長を除き、これら86人の舎弟・若中は直参(直系組長)と呼ばれ、それぞれが数十人~数千人の構成員を抱える組織のトップである。2010年現在、その構成員数は約20,300人、準構成員数は約16,100人の合計約36,400人であり、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約84,200人のうちの46.3%を占めている[2]。
傘下組事務所は広島、沖縄の2県を除いた45都道府県に置かれていると言われる。
「山口」の2文字を菱形にデザインした「山菱」と呼ばれる代紋を用いている。
綱領と組指針
三代目時代に制定された5条からなる「綱領」が、定例会など行事の際には唱和される。また、年ごとの「組指針」も定められている。
六代目発足以降「警察官と接触しない」、「警察機関に人、物を出さない」、「警察官を組事務所に入れさせない」の三点を定め警察との距離をおいている。
歴代組長
* 初代(1915年~1925年):山口春吉
* 2代目(1925年~1942年):山口 登(春吉の長男)
* 3代目(1946年~1981年):田岡一雄
* 4代目(1984年~1985年):竹中正久(竹中組組長)
* 5代目(1989年~2005年):渡辺芳則(二代目山健組組長)
* 6代目(2005年~):司 忍(弘田組組長、二代目弘道会総裁)
歴代若頭
山口組若頭とは、暴力団山口組の若頭で役職の中では組長に次ぐナンバー2である。
二代目時代
* 大長一雄[3]
* 澄田実(-1942年)
三代目時代
* 山田久一(1946年-)
* 安原政雄(-1955年) - 辞任
* 地道行雄(1955年-1968年)※一時期、若頭の役を降りていた期間がある - 解任
* 梶原清晴(1968年-1971年) - 事故死
* 山本健一(1971年-1982年) - 病死
* 竹中正久(1982年-1984年) ※三代目代行時代 - 四代目山口組組長へ昇格
四代目時代
* 中山勝正(1984年-1985年) - 一和会により暗殺
* 渡辺芳則(1985年-1989年)※四代目代行時代 - 五代目山口組組長へ昇格
五代目時代
* 宅見勝(1989年-1997年) - 中野会により暗殺
* 司忍(2005年-2005年) - 六代目山口組組長へ昇格
六代目時代
* 高山清司(2005年-現在)