ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦
びっとりおべねっときゅうせんかん
解説
本級は主要海軍国で建造した近代型戦艦の嚆矢で、基本的にはカヴール級の拡大改良型である。リットリオ、ヴィットリオ・ヴェネトに続いて建造されたローマ、インペロは前2隻の実績を取り入れて設計が一部改められており、資料によってはローマ級とするものもある。当時新造戦艦の基準排水量は35,000tに抑えられており、本級も当初はこの排水量で計画されたが、結果的には41,000t強となった(公称は35,000t)。主砲は38.1cmと控えめだが50口径の長砲身で、高初速とし、威力は40.6cm砲に劣らず、射程距離だけなら大和型戦艦を凌駕するものであったという。ただし砲身の寿命は短く、散布界も広い欠点もあったといわれる。また艦尾の3番砲塔がかなり高い位置にあるのは、射撃時に艦尾にある搭載水偵を損傷しない為であった。
主機出力は速力30ktを発揮する為に140,000馬力の4軸推進となったが、一箇所の被弾で推進力を失わないように、缶室を挟んで前機室(外舷機室)、後機室(内舷機室)を設けている。舷側の水線下防御は、改装後のカヴール級と同様に、艦内舷側に水中爆発の衝撃を吸収する(事を企図したものの実際はかえって衝撃を増幅する欠点がある)大きな円筒を設けたプリエーゼ方式である。ただし、水線部装甲は対38cm徹甲弾防御として250mmの中間区画をおいて外側70mm被帽破壊用硬化鋼、内側280mmのKC甲鉄、計350mmの装甲を11度傾斜して装備している。艦首は造波抵抗を軽減するために球状艦首を採用した。しかし、これについては航行時に振動が発生してよくないとされ、竣工後に艦の長さを1.5m延長している。
バランスの取れた兵装と高速航行できる性能から、本級は第二次世界大戦の戦艦ではビスマルク級戦艦やリシュリュー級戦艦と並ぶヨーロッパきっての名艦となるはずだったが、燃料不足や上層部の戦意不足により消極的な運用に終始した結果、さしたる活躍もせずに降伏を迎えて終わった。ただしフリート・ビーイング的観念で常に地中海で連合軍に脅威を与え続ける存在として運用された事は開戦当初から燃料不足に悩まされてきたイタリア海軍にとって有効な活用方法だったともいえる。それでもスパルチヴェンテ岬沖海戦、マタパン岬沖海戦、第一次・第二次シルテ湾海戦などに参加し敵艦と砲火を交える事もあったが燃料不足が深刻となった1943年には活動も控えめで連合軍の空襲によって損傷を受け、さらにローマはイタリア降伏後、連合国へ引き渡す為に回航中にドイツ軍から攻撃を受け、フリッツXの攻撃によって爆沈してしまった。
主砲
本艦の主砲はOTO(Odero-Terni-Orlando )社の新設計の「OTO 1934年型 38.1cm(50口径)砲」を採用した。その性能は重量885kgの砲弾を最大仰角35度で44,640mまで届かせることが出来、射程28,000mで舷側装甲380mmを、射程18,000mで舷側装甲510mmを貫通可能であった。砲塔の俯仰能力は仰角35度・俯角5度である、旋回角度は船体首尾線方向を0度として左右120度の旋回角度を持つ。主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分1.3発である。
艦名について
ヴィットリオ・ヴェネトとリットリオは同日(1934年7月10日)に発注され、同日(1934年10月28日)に起工したが、進水及び就役はヴィットリオ・ヴェネトのほうが先であった。日本語の文献においては、ヴィットリオ・ヴェネトを1番艦、リットリオを2番艦と定義して艦級名もヴィットリオ・ヴェネト級と分類されている。 しかしながら、現在のイタリア海軍公式ページにおける艦艇紹介ページではリットリオ級との分類が行われており、イタリア語や英語の文献においてもリットリオ級と分類されている。
同型艦
一番艦・ヴィットリオ・ヴェネト 二番艦・リットリオ 三番艦・インペロ 四番艦・ローマ
No | 艦名 | 工廠 | 起工 | 進水 | 竣工 | 戦没 |
一番艦 | ヴィットリオ・ヴェネト | CRDA | 1934/10/28 | 1937/07/25 | 1940/08/28 | 1960(解体) |
二番艦 | リットリオ | アンサルド | 1934/10/28 | 1937/08/22 | 1940/05/06 | 1951(解体) |
三番艦 | インペロ | アンサルド | 1938/05/14 | 1939/11/15 | 1940/06/01 | 1945/2/20(大破着底) |
四番艦 | ローマ | アンサルド | 1938/09/18 | 1940/06/09 | 1942/06/14 | 1943/09/09 |