戦艦ローマとは
- イタリア海軍のレジーナ・エレナ級戦艦の四番艦。
- イタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の四番艦。
- 2.をモデルとした『艦隊これくしょん』に登場する艦娘についてはローマ(艦隊これくしょん)を参照のこと。
戦艦ローマ(ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦)
性能諸元
基準排水量:41300t
満載排水量:45960t
全長:240.7m
全幅:32.9m
武装:38㎝三連装砲塔三基
15㎝三連装砲塔四基
9㎝単装高角砲十二基
37㎜連装機関砲二十基
20㎜単装機銃三十基
装甲:水線部350㎜
甲板162~220㎜
主砲塔(最大装甲)350㎜
副砲塔(最大装甲)280㎜
司令塔260㎜
速力:31ノット
乗員:1920名
艦歴
1938年計画戦艦としてトリエステのカンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ造船所にて1938年9月18日に起工。 1940年6月9日、進水。 1942年6月14日に竣工し、第九戦隊に配属される。
11月12日、姉妹艦リットリオ、ヴィットリオ・ヴェネト等と共に北アフリカに上陸した連合軍への対処としてタラントよりナポリに移動。途中、英潜水艦アンブラの攻撃を受けるも命中しなかった。 12月4日、ナポリにて米軍の空襲を受ける。12月6日、艦隊はラ・スぺツィアに移動し、ローマは艦隊司令長官アンジェロ・イアキーノ中将の旗艦となった。
1943年4月1日、イタリア艦隊司令長官にカルロ・ベルガミーニ中将が就任。4月14日と19日にラ・スぺツィアにて空襲を受ける。 6月5日にはラ・スぺツィアにてB-17の空襲により二発を被弾し損傷。この折にヴィットリオ・ヴェネトも損傷した。23~24日、アブロ・ランカスター爆撃機の夜間爆撃で二発を更に被弾し損傷、修理に回される。8月13日、ジェノヴァにて修理を完了した。
9月8日のイタリアの連合国への降伏を受け、ラ・スぺツィアのイタリア艦隊は連合国に引き渡されるために9日03時00分に出港。途中合流した艦艇を含めるとベルガミーニ提督の旗艦戦艦ローマ、イタリア(元リットリオ)、ヴィットリオ・ヴェネト、巡洋艦六隻、駆逐艦八隻となった。当初は国王・閣僚が移動するとされたマダレーニャ島に向かったが、移動先がブレンディシに変更となったためにマルタ島を目指す。
15時40分、艦隊の連合国への引き渡しを阻止するためのドイツ第100爆撃団所属のDo217 12機が来襲。新兵器である誘導爆弾フリッツXを使用した攻撃を行う。その攻撃手順が通常の爆撃とは異なったため、ベルガミーニ提督は当初連合国が派遣した護衛戦闘機と誤認。対処が遅れる。
15時45分、フリッツXがローマ船体中央右舷90㎜対空砲基部に命中。装甲を貫通しての爆発はキールを損傷させたばかりか右舷機関室に浸水を生じさせ速力は10ノットに低下した。
50分、二発目のフリッツXが艦橋と第二砲塔間の左甲板に命中。火災が発生し、左舷機関室の浸水で航行不能になった。
16時12分、火災が前部弾薬庫に回り大爆発を起こしてローマは船体を引き裂かれながら沈没した。
ベルガミーニ提督を含む1350名余りの死者を出したイタリア海軍の悲劇だった。
評価
インペロとローマは設計がヴィットリオ・ヴェネト、リットリオとから一部改められているために改ヴィットリオ・ヴェネト級、インぺロ級、ローマ級などと呼ばれる事もある。
燃料不足のためにほとんど活動出来ぬまま、実戦に投入された誘導爆弾に撃沈された唯一隻の戦艦となってしまった。
後にイギリス戦艦ウォースパイトが3発、同軽巡洋艦サバンナが1発のフリッツXを被弾しても沈まなかった事からか、これをもってローマ、ひいてはヴィットリオ・ヴェネト級戦艦を防御に問題のある艦であったとする事もある。
ただし徹甲爆弾を元に開発され音速に近い速度で落下してくるフリッツXに対する有効な防御手段は(回避や誘導の妨害を除いては)事実上存在しなかった。
ローマは弾薬庫付近への被弾で火災が生じた点で他の艦よりも不運であった。
例えばウォースパイトは3発のうち1発が甲板上の構造物、他2発は機関区への命中で、深刻な被害を受けたものの弾薬庫が誘爆する恐れは無かった。
サバンナは爆弾が船体を完全に突き抜けた後に起爆し沈没を免れた。
またローマの姉妹艦であるイタリア(元リットリオ)もフリッツXを被弾しながら戦闘航行は可能だった。
第1主砲塔付近のやや艦首寄りという危険な位置への被弾ではあったが、サバンナと同様に爆弾が船体を通り抜けた後に起爆したため最悪の事態は避けることができた。
ローマの沈没はフリッツXの有用性とともに語られることがあるが、限定的な状況下での戦果であることには留意が必要だろう。
当時フリッツXは新兵器であり、通常爆弾とは異なる投下手順を持っていたことはイタリア艦隊の判断を惑わせた。
また連合国への引き渡しに向かう途上で不要な衝突は避けたいところであり、ドイツ機が現れても攻撃意図が明確でない限り反撃しない方針を事前に決めていたことも対応が遅れる一因となった。