インペロとは
- イタリア語で、「帝国」という意味を表わす。
- イタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦(またはリットリオ級戦艦)の三番艦。
インペロ(ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦)
主要データ
基準排水量:41300t。
満載排水量:45960t。
全長:232.4m。
全幅:32.9m。
武装:38㎝三連装砲塔三基。
15㎝三連装砲塔四基。
9㎝単装高角砲十二基。
37㎜連装機関砲十基。
20㎜単装機銃三十基。
装甲:水線部350㎜。
甲板162~220㎜。
主砲塔(最大装甲)350㎜。
副砲塔(最大装甲)280㎜。
司令塔260㎜。
速力:31ノット。
乗員:1920名。
経歴
ジェノヴァのアンサルド造船所にて1938年5月14日に起工。
1939年11月15日、進水。
1940年6月1日、トリエステへ向け出発したが、イタリア参戦の予定日までにトリエステにたどり着けないことから途中で目的地がブリンディジに変更され、6月9日に到着した。その後、インペロはブリンディジで自力航行が可能なようにしてからトリエステへ移すことが決定された。
1942年1月22日、はブリンディジを離れ、自力でまずドック入りするためヴェネチアへ向かった[5]。ヴェネチアには翌日到着したが、インペロ建造の優先順位が最低とされたことから10ヶ月間ヴェネチアにとどまることになった。同年11月15日にヴェネチアからトリエステへ移ったが、工事の進みは遅く連合国軍のイタリアへの侵攻が迫ってきた。
1943年4月4日、90%の建造で中止。
1943年9月9日、ドイツが爆薬の試験のため買収。
1945年2月20日、船体に仕掛けた爆薬で大破着底。
その後、1946年7月、港のスペースを空けるため一度引き揚げられ移動。
1947年3月27日、除籍されC320と言う名称が与えられた。元インペロの船体は同年9月に再び浮揚され、解体のため曳航されて9月14日にヴェネチアへ向け出発。9月15日に到着したが入港時に何度も座礁し、航路をふさぎそうになったため航路外に座礁させられて動かないようにされ、そのまま1年以上放置された。
1949年、解体された。
その他のインペロ
無責任艦長タイラーシリーズにタイラーファミリーの一人であるザンギエフ准将の旗艦としてインペロが登場する。艦型などは不明。