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超大和型戦艦の編集履歴

2015-06-18 23:44:44 バージョン

超大和型戦艦

はいぱーやまとがたせんかん

大日本帝国海軍が計画した真の最後の戦艦。だが、莫大な建造費により計画自体が消滅した。

概要

大日本帝国海軍が計画した戦艦で、大和型戦艦を「超える」という意味を込めて、「超大和型戦艦」と名付けた。


艦型は、大和型に似ているが、大きさはそれらを凌ぐと言われていた。


第五次補充計画によって計画された戦艦2隻、第七九八号艦及び第七九九号艦である。アメリカが46cm砲を搭載した新型戦艦を建造するという懸念と日本軍自身の対抗心から、それをさらに打ち破るために更なる大口径砲の51cm砲を搭載することが計画された。艦型は計画時の時間の都合で、完全な新規設計ではなく、大和型戦艦の強化発展型であると伝えられている。最も大型の案では、基準排水量85,000トン(満載排水量10万トン以上)、51cm砲3連装3基又は連装4基、速力30ノットというものであった。しかし、51cm三連装砲の設計・製造自体が困難であるだけでなく、三連装砲を搭載する場合には基準排水力が90,000tを超えると試算されドックや補給施設・港湾設備などの問題からも実現不可能とされた。このため、超大和型では連装砲が採用される事となり、連装砲4基8門を搭載するとされたが、この案でも基準排水量が85,000tに達すると試算され、運用上問題があるため、この案も採用される事は無かった。最終的に超大和型は51cm砲連装3基を大和型に近い規模の艦体に搭載し、速力も大和型と同じ27ktとするという案が艦政本部より提案され、基本計画番号としてA-150が与えられる事となった。当時建造が開始された110号・111号艦と共に建造するため、大分県大神に工廠を新設、そこに新ドックを建造し、第七九八号艦は呉工廠での111号艦(一説によれば、「三河」だった)の完成が終わった後で、第七九九号艦は大分県の新ドックでの建造がされることとなっていたという。


超大和型は搭載砲塔の設計についてはほぼ終わっていたが、艦自体の設計は終わっておらず、資料自体も殆ど残されていないため、合計4隻建造する計画だったという説、51cm砲搭載である都合上、排水量は大和型よりも2万トン以上大きくなるという説、対空能力と防御力を重視して副砲を搭載せず、高角砲を増設する予定だったとする説など様々な説が存在している。高角砲自体も長10cm砲より危害半径に優れた五式12.7cm高角砲(八九式より長砲身)が搭載された可能性もある。


艦名

計画時に中止されたため不明であるが、ある海軍学者によれば、1番艦は「駿河」、2番艦は「近江」だったと言われている。


関連タグ

戦艦 大日本帝国海軍

前級:大和型戦艦

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