平安時代中期の作家、歌人。一条天皇の中宮藤原定子に仕えた。
随筆「枕草子」の作者である。
利発で気の強い性格であるともされ、人によって好き嫌いの出る人物だったようだ。そのせいか『晩年不遇説』をでっちあげられたりもしている。
紫式部とは、中宮彰子と中宮定子の跡目出産競争もあって、ライバル関係とも目されており、互いの日記に互いの中傷をし合っている節が見受けられるという。
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