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ジュゼッピーナ・チュインニの編集履歴

2015/12/09 00:41:54 版

編集者:kdo84221

編集内容:大幅改稿・加筆

センシティブな作品

プロフィール

名前ジュゼッピーナ・チュインニ
身長156cm
年齢
  • 14歳(1937年)
  • 16歳(1939年)
誕生日2月27日
原隊
  • ロマーニャ空軍 第143飛行隊(ヒスパニア戦役初期、1936年)
  • ロマーニャ空軍 第97急降下爆撃航空群 第239飛行隊(ヒスパニア戦役初期、1937年)
所属
  • カールスラント空軍 第4航空群 第2大隊(1938年末-1940年1月)
  • スオムス義勇独立飛行中隊(1940年2月-)
階級
  • 曹長(1937年)
  • 准尉(1939年)
使い魔山猫
使用機材
  • ファロットG50
使用武器12.7mmSAFAT機関銃

イメージモデル

名前:ジューゼッペイ・チェインニ (1915~1943)

所属:イタリア王立空軍

通称:「ワルツを踊る小人」

撃墜数:8機

この場合の「小人」は少年の意。

彼が第5飛行連隊第102大隊第239中隊の急降下爆撃開始の無線の合図に使った言葉が「Valzer ragazzi!(英訳すると「Waltz boys!」。「ワルツを踊れ坊やたち!」くらいの意と思われる)」だった。

すべてスペイン内戦における戦果。

急降下爆撃の名パイロットで急降下爆撃隊の名指揮官として有名。

ユンカース Ju87 スツーカやレジアーネ Re.2002に搭乗。

少数ながらも精鋭のイタリア急降下爆撃隊を率いてギリシャ・イタリア戦争や地中海の戦いにおける対地攻撃や対艦船攻撃で戦果をあげた。

跳飛爆撃(スキップ・ボミング)を最初に実戦で採用。「チェインニ方式」として知られる。

第二次世界大戦の前のスペイン内戦では戦闘機のパイロットとしてフィアット CR.32に搭乗。

急降下爆撃のパイロットになる前の第51飛行連隊第354中隊に所属時はフィアット G.50にも搭乗。

人物像

ヒスパニア戦役で初陣を飾り、同戦役でカールスラントが行った新戦術「急降下爆撃」も吸収。空戦と爆撃双方で戦績を積む。

ヒスパニア戦役では、後に「チュインニ方式」と呼ばれる、低空を水平飛行して目標の手前の水面に遅延信管を付けた爆弾を投下、水切りのように爆弾を移動させる反跳爆撃(スキップボミング)を実戦で初使用。地中海沿岸部の要塞型ネウロイの破壊に成功している。

その才を買われ1938年12月にカールスラント空軍に派遣。第4航空群第2大隊に編入され、第2次大戦ではカールスラント東部戦線でG50とJu87の二刀流で戦った。

1940年初頭、ネウロイ勢力圏内で被弾、墜落してMIA(戦闘行動中行方不明)認定を受け、一時は生存が絶望視された。徒歩による自力帰還を果たすが、記憶を喪失しており、同時に華麗な空戦機動のテクニックも失っていた。

そのため、リハビリを兼ねてスオムス義勇独立飛行中隊(後の第507統合戦闘航空団)に転属。直後に出現した、航空ウィッチの戦法を模倣する人型ネウロイとの戦いの中で記憶を取り戻す。

『スオムスいらん子中隊』は、ジュゼッピーナが初登場した3巻を出したところで、作者のヤマグチノボルの他界により未完に終わり、記憶を取り戻した彼女が本領を発揮する場面は書かれることはなかった。作中では、本来は制空戦闘部隊である義勇独立飛行中隊が不慣れな地上爆撃任務に就き苦心する場面があっただけに、空戦も地上攻撃もこなせるジュゼッピーナの活躍を見たかった読者は多かっただろう。

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ジュゼッピーナ・チュインニの編集履歴

2015/12/09 00:41:54 版

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