概要
1939年11月10日に編成。組織上はスオムス空軍第3機械化航空歩兵大隊(のち飛行34戦隊に改編)の一部隊であった。本拠地はヴァーサ州カウハバ。
1944年12月、人類連合軍に移管され、第507統合戦闘航空団に改編。
- 「州(Lääni)」は、史実・現実で2009年まで存在したフィンランドの伝統的地方自治体。2010年より州は「県(Maakunta)」に移行し、カウハバは南ポフヤンマー県に所属。
- 作中では、意図的か錯誤かは不明だが、カウハバはミッケリ(実在。史実の旧州ではミッケリ州、現行の県では南サヴォ県)の東方約80kmに位置するスラッセンという街の東隣に位置するとしていた。『娘Type』に掲載された「キミとつながる空」第4話や「WORLD WITCHIES」穴吹智子編ではカウハバは現実同様の位置に、スラッセンはスオムッサルミ近郊とされている。
略史
1939年の第二次大戦勃発によってウラル山脈以西のオラーシャ(『スオムスいらん子中隊』シリーズでは『ネウロイの国』となっているが、本記事では現行設定に従う)が陥落し存亡の危機に立たされたスオムス政府は、列強各国に対して航空ウィッチの派遣を要請した。当時のスオムス空軍の航空ウィッチ部隊は3個中隊規模に過ぎず、数千キロに及ぶスオムス―オラーシャ国境を守るには不安があるとしたのだ。
列強各国はスオムスの要請を承諾した…のはいいのだが、実際に派遣された航空ウィッチで戦力と言えたのは、2年前の扶桑海事変のエース・穴拭智子と、オストマルク国際監視航空団などで実績のあるブリタニアのエリザベス・F・ビューリングのみ。しかも後者はブリタニア空軍稀代の問題児でもあった。当然チームワークは最悪で、スオムス空軍のウィッチからも軽視されていた(もともと『いらん子中隊』とは、彼女たちが義勇独立飛行中隊につけた蔑称である)。
しかし同年12月下旬の大型爆撃機型ネウロイ「ディオミディア」撃破(これは世界初の大型ネウロイ撃破例であった)を契機に部隊の結束力は強まり、多くの戦果を積み上げていく。各国も義勇独立飛行中隊への支援を行うようになり、兵器技術者の側面も持つウルスラ・ハルトマンの存在もあって、試作ストライカーユニットや兵器、寒冷地装備の実験部隊の様相も帯びる。
何よりも重要なのは、義勇独立飛行中隊の戦果が「世界各国から選抜された優秀な航空ウィッチから成る部隊」=統合戦闘航空団構想を産み、1940年の「ダイナモ作戦」、1942年の統合戦闘航空隊「アフリカ」編成を経て、第501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」につながっていったことであろう。
『スオムスいらん子中隊』後の義勇独立飛行中隊
義勇独立飛行中隊の1940年以降の足跡は判然としていない。その理由は、1940年2月のサッコラ鉄橋破壊作戦のさなかに遭遇した「人型ネウロイ」にあった。ウィッチの動きを模倣するばかりでなく、ウィッチを洗脳し支配下にさえ置くネウロイの出現は、人類にとって衝撃であった。
スオムス軍や人類連合軍は人型ネウロイに関する情報を最高機密に指定した。その秘匿措置の中には、当事者である義勇独立飛行中隊の運用に制限を課す事も含まれていた。すなわち、義勇独立飛行中隊はカウハバ基地に常時駐留となり、作戦のたびに前線に派遣される形となった。全隊員の出撃も出来なくなり、最低1名がカウハバ基地に残らなければならなくなった。この制限は、1944年12月に、中隊が第507統合戦闘航空団に改編されるまで続いた。
北欧の小国が国際社会に訴えて誕生させた世界初の多国籍部隊は、皮肉にも、敵の頭目にしてウィークポイントの可能性がある存在と接触したために、歴史から半ば隠された形になったといえる。
メタな話としては
義勇独立飛行中隊の物語は、『スオムスいらん子中隊』が作者であるヤマグチノボルの闘病と死去によって未完に終わった後、メディアで描かれることはなく、メンバーのその後が断片的に語られるのみであった。これは島田フミカネが(おそらくはヤマグチに敬意を表して)「『いらん子中隊』の中での話は手を出せない」と自身の公式ツイッターで語っている事も大きかった。
しかし、生前のヤマグチと交友のあった築地俊彦が『ブレイブウィッチーズPrequel』を執筆するにあたり、義勇独立飛行中隊の「その後」を描く事が決まり、ヤマグチの遺族ら関係諸方面の了解を得て、迫水ハルカ以外のメンバーを一新した新生「いらん子中隊」が『Prequel』3巻で誕生した。そしてこのメンバーが第507統合戦闘航空団のオリジナルメンバーとなっていく。
所属ウィッチ
※◎は隊長を指す。括弧内は(出身国、階級)【着任時期-離任時期】。
◎(初代)エルマ・レイヴォネン(スオムス、中尉→大尉)【1939.11-1944.6】
◎(2代)穴拭智子(扶桑皇国、少尉→大尉)【1939.11-1944.1?】
◎(3代)ハンナ・ヘルッタ・ウィンド(スオムス、大尉→少佐)【1944.4-1944.12】
迫水ハルカ(扶桑皇国、一等兵曹)【1939.11-1944.12】
エリザベス・F・ビューリング(ブリタニア連邦、少尉)【1939.11-1942.6?】
キャサリン・オヘア(リベリオン合衆国、少尉)【1939.11-1942.4】
ウルスラ・ハルトマン(帝政カールスラント、曹長)【1939.11-194?】
ジュゼッピーナ・チュインニ(ロマーニャ公国、准尉)【1940.2-1943.2】
ヴェスナ・ミコヴィッチ(オストマルク、曹長)【1943.1-1944.12】
リー・アンドレア・アーチャー(リベリオン合衆国、少尉→中尉)【1943.8-1944.12】
クラマース・ブレンガーム(シャムロ王国、軍曹→曹長)【1943.1-1944.12】