概要
地中海方面統合軍総司令部(地中海周辺諸国担当)に所属。
北アフリカの防衛を主任務とする部隊。 帝政カールスラント、扶桑皇国、ロマーニャ公国、ブリタニア連邦の4列強国軍で編成される(但し実戦部隊はカールスラントと扶桑のみが派遣)。本拠地はキュレナイカのトブルク。
略史
黒海からヨーロッパ制圧を目指すも、オストマルクやカールスラント、あるいはスオムスで人類の強い抵抗に遭ったネウロイが、次なる侵攻ルートとして選んだのは北アフリカであった。黒海からオストマン領を南下、エジプトからチュニジアに向かう進路で、スエズ運河の制圧とチュニジア→シチリア島経由による欧州攻略がその目的であった。事実、スエズ運河の陥落によって、扶桑などのアジアとヨーロッパを結ぶ航路は喜望峰経由のみとなり、物資の輸送に相当の遅延が発生していた。
1942年当時、北アフリカ戦線にはカールスラントやブリタニア、ガリア、ロマーニャ等が多くの部隊を送り、ネウロイの西進阻止とスエズ運河の奪還を目指していたが、あまり連携がとれていなかった。カールスラントJG27第3中隊のハンナ・ユスティーナ・マルセイユの活躍で、戦線はキュレナイカ―エジプト国境にて維持されていたが、負傷離脱した中隊長の後任に就いたマルセイユは部隊管理しながら先陣で戦っていたためかなり疲弊していた。
一時は、第3中隊もマルセイユとライーサ・ペットゲンと2人だけの状態にもなり、心身ともに消耗し切って、撃墜スコアもかなり落ちていた。そこに扶桑から、加東圭子率いるアフリカ派遣独立飛行中隊(通称「砂隊」)が加わる。
当時、階級が上だった加東にマルセイユは航空隊の指令の役目を押し付けた。しかし、加東は伝説的な手腕を発揮し、一晩でブリタニアとロマーニャの支援をとりつけて、統合戦闘飛行隊「アフリカ」を結成した。加東は、1938年に退役してからは戦場カメラマンとして各地を回っており、そこで築いた人脈が結成に役立ったらしい。
加東は魔力減衰期(いわゆる「あがり」)を迎えているため、戦闘指揮はマルセイユに任せて自身は後方で支援または指示を出している。カメラを常に持ち「アフリカ」の活躍を多くの写真で各地に伝え、アフリカ戦線だけでなく、各地の士気向上に貢献している。
第504統合戦闘航空団(504JFW)の設立にあたって、「アフリカ」を母体にする案があったが、現場から猛烈な反対があった。人類連合軍司令部は代わりに、「31」のナンバリングを与え、通称に「ストームウィッチーズ」を使用するようになった。「ストームウィッチーズ」自体は以前から使用していた。
所属ウィッチ
※◎は隊長、◯は戦闘隊長を指す。括弧内は、(出身国、階級)。
- ◎加東圭子(扶桑皇国、少佐)
- ◯ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ(帝政カールスラント、大尉)
- ライーサ・ペットゲン(帝政カールスラント、少尉)
- 稲垣真美(扶桑皇国、軍曹)
- 北野古子(扶桑皇国、軍曹)
- マティルダ(南アフリカ、なし)
関係があるウィッチ
- セシリア・グリーンダ・マイルズ(ブリタニア連邦、少佐)
- フレデリカ・ポルシェ(帝政カールスラント、少佐)
- シャーロット・リューダー(帝政カールスラント、軍曹)
- パットンガールズ(リベリオン合衆国)
※それぞれ各国の部隊だが、多くの戦闘を共闘する。
- シャーロット・E・イェーガー(リベリオン合衆国、大尉)
- フランチェスカ・ルッキーニ(ロマーニャ公国、少尉)
※シャーリー、ルッキーニの両名は501JFW解散後、ここに合流している。