第十一水雷戦隊
たつたほいくえんもしくはていこくかいぐんさいごのすいらいせんたい
第十一水雷戦隊とは大日本帝国海軍に所属していた水雷戦隊の事である。 太平洋戦争中盤に水雷戦隊の練成部隊として組織され、新型駆逐艦を戦力の消耗した各水雷戦隊へ補充する役割を担った。
新造駆逐艦とその乗組員の練成部隊として、1943年4月1日編成された水雷戦隊。
玉波以降の夕雲型駆逐艦や新月以降の秋月型駆逐艦、島風や松型駆逐艦など、戦争中盤以降に竣工した駆逐艦のほとんどが就役直後に一時編入され、訓練を行った後に前線の各水雷戦隊へ配属された。
訓練のみならず船団護衛などもおこなった。
1944年前半までの旗艦は龍田。
龍田と第六駆逐隊の雷、電、響が1944年前半までレギュラーメンバーだった。
響は第十一水雷戦隊において各種目標艦を務め、新造駆逐艦に対してアグレッサー部隊のようなことをしていた他、連合艦隊司令部直属のような扱いで単独行動をとることが多く、キスカ島撤退作戦には助っ人として参加した。
龍田が沈んだ後は長良、次いで酒匂が旗艦を引き継ぐ。第二水雷戦隊が壊滅した後は最後の水雷戦隊となったが、終戦直前の1945年7月15日についに解隊された。