ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
編集者:勿茂
編集内容:記事本文に追記。

夕雲型駆逐艦の11番艦。

Wikipedia:藤波 (駆逐艦)参照

艦暦

1942年
  • 8月25日起工
1943年
  • 4月20日進水
  • 7月31日竣工。舞鶴鎮守府籍となる
  • 8月20日、涼波早波と共に第三十二駆逐隊を編成
  • 10月15日、佐伯を出発しトラック泊地へ向かう
  • 11月5日、進出したラバウルで空襲に遭い、魚雷が1本命中したが不発
  • 11月11日、空襲から逃れ、トラック泊地へ退却。航行不能となった阿賀野の救援にあたる
1943年
  • 1月10日、トラック泊地を出港し呉へ向かう
  • 2月6日、館山から3206船団を護衛してトラック泊地へ向かう
  • 2月20日、明石を護衛してトラック泊地からパラオへ向かう
  • 3月29日、パラオに米空母機動部隊が迫り、第二艦隊、第四戦隊、武蔵とパラオを脱出してダバオに向かうが、出港直後に武蔵が米潜水艦タニーの雷撃で損傷。武蔵を護衛し、呉に帰投
  • 6月19日、マリアナ沖海戦では丙部隊に属した
  • 6月23日、玉波とともに中城湾から昭南に向かう
  • 7月2日、マニラ経由で呉に向かう
  • 8月10日、伊万里からヒ71船団を護衛してマニラを経由して昭南へ向かう。ヒ71船団はバシー海峡で米潜水艦3隻から次々と攻撃を受け、大損害を出した。その後リンガ泊地で第二艦隊に合流した
  • 10月18日、第二艦隊はリンガ泊地から出撃
  • 10月24日、レイテ沖海戦に参加
  • 10月25日、鳥海乗組員を救助。鳥海を雷撃処分する
  • 10月27日、セミララ島の浅瀬に擱座した早霜の救援に向かうが、米空母艦載機の空襲により、早霜乗組員の目の前で轟沈。1人の生存者もなかった
  • 12月10日、除籍

諸元

全長119.3m
全幅10.8m
排水量基準:2077t 公試:2520t
機関出力5万2000馬力
速力35.0ノット
航続距離5000マイル/18ノット
乗員225名
兵装50口径12.7cm連装砲塔×3基 25mm連装機銃×2基 61cm四連装魚雷発射管×2基 両舷用爆雷投射機×1基 手動式爆雷投下台×4基 水圧式爆雷投下台×2基

Wikipedia:藤波 (駆逐艦)参照

関連記事

編集者:勿茂
編集内容:記事本文に追記。