概要
夕雲型駆逐艦の11番艦。
1939年度(マル4計画)仮称第127号艦として藤永田造船所で建造され、1943年4月20日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となった。竣工後、早波とともに訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された。瀬戸内海に回航され訓練を受けた後、8月20日付で涼波、早波を加えて第三十二駆逐隊が編成される。翌8月21日、駆逐艦響、涼波、早波とともに横須賀に回航され、戦艦山城を護衛して8月27日に瀬戸内海に帰投した。9月30日付で第三十二駆逐隊は第二水雷戦隊に編入されるが、引き続き第十一水雷戦隊の指揮を受けた。
1944年のマリアナ沖海戦では、丙部隊に属した。海戦後、6月22日に中城湾に立ち寄った後、翌23日に玉波とともに出港してマニラを経由し、昭南に回航された。7月2日、昭南からマニラ経由で日本に向かう旭東丸(飯野海運、10,051トン)の護衛に玉波とともにあたった。ところが、7月7日にアメリカ潜水艦ミンゴの雷撃で玉波が沈没する。同日にマニラに到着後、7月10日に響、夕凪とともに旭東丸、給油艦速吸を護衛してマニラを出港し、サンベルナルジノ海峡を経由して7月17日に呉に帰投した。
10月18日、捷一号作戦発動に伴って栗田中将の第二艦隊はリンガ泊地から出動し、ブルネイ湾で補給の後、10月22日に出撃した。10月24日からのレイテ沖海戦では第一部隊に属して戦闘に参加され、10月25日、航行不能となった重巡洋艦・鳥海の乗組員を救助後、鳥海を雷撃処分して単艦でコロン島に帰投することとなる。
その途中の10月27日、早霜がセミララ島の浅瀬に擱座して航行不能との報を受け救援に向かったが、第38任務部隊の艦載機の攻撃により、シブヤン海で戦没した。
生存者なし。
関連タグ
夕雲型駆逐艦/夕雲(駆逐艦) 巻雲(駆逐艦) 風雲(駆逐艦) 長波(駆逐艦) 巻波(駆逐艦) 高波(駆逐艦) 大波(駆逐艦) 清波(駆逐艦) 玉波(駆逐艦) 涼波(駆逐艦) 早波(駆逐艦) 浜波(駆逐艦) 沖波(駆逐艦) 岸波 朝霜 秋霜 早霜(駆逐艦) 清霜
響(駆逐艦):吹雪型駆逐艦の22番艦。新潟港で終戦を迎え、復員任務後にソヴィエト連邦軍に引き渡され「ヴェールヌイ」となっている。
鳥海(重巡洋艦):高雄型重巡洋艦の3番艦(文献によっては4番艦とするものもある)。藤波の名は1代で絶えたが、こちら鳥海は現在イージス艦の名になっている。