概要
大阪府内完結の国道で、高槻市にある国道171号の八丁畷交差点から、泉佐野市にある国道26号の上瓦屋交差点を結ぶ、総延長142.4kmの国道である。
国道171号と共に大阪府を代表する半環状の幹線道路、大阪外環状線を構成する新道と、住宅地を抜けていく旧道が存在する。
本来、新道が完成すると同時に旧道は指定を外されるのが一般的であるが、当路線は全国的にも珍しい新道・旧道が指定されたまま併走している路線である。
歴史
国道のルーツとなるのは、京都から高野山までの参詣道と用いられた、東高野街道である。
1953年(昭和28年)に現行の道路法にて、二級国道170号(和歌山松阪線、和歌山県和歌山市~三重県松阪市)として指定を受けていたが、1958年(昭和33年)に一級国道42号として昇格し、170号は一旦欠番となっていた。
1963年(昭和38年)に新たに大阪府高槻市~和歌山県橋本市の区間を二級国道170号・高槻橋本線として制定施行した。1965年(昭和40年)に一級・二級の区別がなくなると共に、一般国道170号として指定を受けている。
1982年(昭和57年)に関西国際空港の着工が始まると、空港のアクセス路線として重要視され、河内長野市から橋本市までの区間を国道371号に編入、終点を大阪府泉佐野市へ変更し、現在に至っている。(古い案内標識の中には、行先が橋本と記載された標識が現存している)
現道
片側2車線(4車線)の幹線道路。国道171号と共に大阪外環状線を形成する。通称「外環(そとかん)」。1970年(昭和45年)の大阪万博に併せて整備され、万博開催前年までには藤井寺市の沢田交差点(西名阪自動車道の藤井寺インターチェンジと隣接)まで開通した。
その後は着々と建設が進み、1981年(昭和56年)までには河内長野市までの区間が開通するも、1982年(昭和57年)に関西国際空港の着工が始まると共に終点のルートを変更し、泉佐野市までの区間を着工。1994年(平成6年)に全線が開通した。
ほぼ全線4車線で整備されているものの、全体的に渋滞が多く、右折レーンのない交差点が多くボトルネックになる所が多い。平成時代に開通した区間は暫定2車線も存在している。
旧道
枚方市から分岐する。かつての河内街道・東高野街道を踏襲する。寝屋川市~東大阪市、富田林市~和泉市にかけての区間は密集した住宅街を抜けていく。狭嗌区間かつ、バス路線が通っている区間が多く特に東大阪市~四条畷市の区間は渋滞が多い。
住宅街の生活道路であることから、道路の拡張が出来ない事、後述するアーケード区間を含めて、「都市型酷道」 としてマニアの間では知られている。
特に東大阪市にある近鉄奈良線瓢箪山駅周辺は、国道では珍しい、アーケード商店街が国道に指定されている区間として知られており(国道324号の浜町アーケードも同様)、7時~20時までは通行止め規制がされる。
また寝屋川市や河内長野市以西等は新道と旧道が交差する箇所が多く、全方向が国道170号の案内標識が数多く存在する。