福岡県北九州市でモノレール(日本跨座式)を運営している会社である。また、日本で初めての『都市型モノレール』である(都市モノレール法および軌道法準拠)。かつては第三セクター鉄道であったが、現在は北九州市が100%株式を保有している(理由は後述)。
歴史
同じ区間を走っていた西鉄北方線の代替と、北方より南にある住宅地と小倉中心部を結ぶために建設された。
1972年に制定された「都市モノレール法」の最初の適用路線として認可されて第三セクター鉄道として設立。1982年に開業したが、開業当時の小倉駅【現・平和通駅】は国鉄小倉駅から400m離れているため乗り換えに不便を強いられた(地元商店街の反対があって延伸できなかった)。ようやく1998年にJR小倉駅ビル改築と同時に小倉駅乗り入れを果たした。
しかし、開業時からの累積赤字がひどくなったため経営難に陥ったが、産業活力再生特別措置法による経営再建が認められ、残った債務を株式に転換した上に北九州市が買い取り、現在は第三セクター鉄道から実質上北九州市営モノレールと化した(株式の100%が北九州市が保有)。また、JRA(日本中央競馬会)からも支援が行われたともいう。
路線
小倉北区の小倉駅と小倉南区の企救丘(きくがおか)駅間8.8kmを結ぶ。起点の小倉駅は、JR小倉駅の駅ビルの中にあるため、外から発車する光景を見ると異様にも見える。路線途中に小倉競馬場があり、レース開業時は大変混雑する。また、城野と企救丘ではJR日田彦山線と乗換えが出来る
(モノレール城野駅とJR城野駅とは距離がある。企救丘駅と乗り換える事の出来る駅はJR志井公園駅である)