14系15形
じゅうよんけいじゅうごがた
14系はB寝台のベッド幅の拡充(52㎝→70㎝)という大変革をもたらしたが、一方で国鉄線(現JR線)の在来線車両限界に3段ベッドを押し込んだ高さ方向の窮屈さ(空頭68~70㎝)は依然そのままであった。
これは子供ならともかく、大人では、女性でも寝台内では起き上がった姿勢でいられない寸法である。
14系が登場して1年も経たない1972年11月、北陸本線敦賀ー南今庄間の北陸トンネルで発生した、急行「きたぐに」号火災事故(火元となったのは、食堂車オシ17形の電気暖房器とされた)を契機に、派生系列と言うべき24系が1973年に登場、その2段ベッド化グループとして24系25形が1974年に登場、14系15形はそのコンセプトを元系列である14系に適用したグループである。
元々14系自体が省力化を旗印にした系列であったため、ベッドの2段化は、それをさらに進める形となった。
レイルウェイ・ライターの種村直樹氏は24系25形登場時「素晴らしいサービス」と評したが、それは登場時点での料金が1600円と物価水準とサービス拡充内容に比して妥当であったため。
14系15形は、B寝台車の2形式のみが63両製造された。基本形式のオハネ15形が42両、発電エンジン搭載の緩急車スハネフ15形が21両である。新製配置されたのは、門司鉄道管理局早岐客貨車区(門ハイ)である。
1978年10月2日の時刻改正から、寝台特急「あかつき」号で運用を開始、以後約5年半に亘って、「あかつき」号のみの仕業に専従する。1984年2月1日の時刻改正で早岐客貨車区が廃止されたため、63両全車が大阪鉄道管理局向日町運転所(大ムコ)に転属した。この改正で、「あかつき」(下り1号・上り4号)の佐世保行が廃止され、西鹿児島(現・鹿児島中央)行「明星」号に立て替えられる。14系15形が「あかつき」号以外の列車に運用される初めての例となった。