概要
「性的指向」は一般に「どの性を性的な対象とするか」といった意味で使われている語であり、「性的嗜好」とは区別されている。
しかし「性的」な「指向」を考えた時、「性的嗜好」は果たして区別されるべきだろうか。
区別が不当だとする考え
同性愛を「性的嗜好」と表記すれば非難されるが、これはすなわち「性的指向」と「性的嗜好」の間に差別があることの表れである。
特定の年齢層や身体の部位に対する性愛を「性的嗜好」に押し込めることは「何が性的な対象になるのか」に優劣を付けているに他ならない。
指向とは単に「指し示す方向」を意味した単語のはずであり、それを「どの性別か」という問題に限定する必然性は存在しない。
従来の「性的嗜好」と「性的指向」を、広義の「性的指向」として同一に考えるべきである。
区別が妥当だとする考え
例えば「女性の眼球が好きである」といった場合、「女性愛」と「眼球愛」が同時に成り立つ。
これは「性的指向」と「性的嗜好」が並列した概念であり、別個に捉えることが妥当であることの証左である。
あくまで分類方法の違いに過ぎず、優劣のあるものではない。
「性的指向」内には「異性愛」と「同性愛」の間にいまも差別がある。社会的な権利の平等を求めていることは「性的指向」特有の問題であり、これを「性的嗜好」と混同するのは無用の混乱を招くだけである。