市川團十郎
いちかわだんじゅうろう
市川團十郎家は歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。
屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょうよう ぼたん)。役者文様は鎌輪ぬ(かまわぬ)。
一方で團十郎の名跡は代々のうち半数が何らかの形で非業の最期を遂げていることでも知られている。
初代 市川團十郎
役者堀越重蔵の長男、1660–1704。
初代市川海老蔵 → 初代市川團十郎
舞台上で共演の役者によって刺殺される。(満44歳)
二代目 市川團十郎
初代の長男、1688–1758。
初代市川九蔵 → 二代目市川團十郎 → 二代目市川海老蔵
三代目 市川團十郎
二代目の養子、1721–42。実父は二代目の高弟の三升屋助十郎。
初代市川升五郎 → 三代目市川團十郎
公演先の大坂で病を得て江戸には戻ったものの2か月後に死去(満21歳)
四代目 市川團十郎
二代目の養子、1711–78。実父は芝居茶屋の和泉屋勘十郎、あるいは二代目團十郎。
初代松本七蔵 → 二代目松本幸四郎 → 四代目市川團十郎 → 二代目松本幸四郎 → 三代目市川海老蔵
五代目 市川團十郎
四代目の子、1741–1804。
三代目松本幸四郎 → 五代目市川團十郎 → 三代目松本幸四郎 → 市川蝦蔵 → 成田屋七左衛門(隠居名)→ 初代市川白猿(舞台復帰後)
六代目 市川團十郎
五代目の子、1778–99。
四代目市川海老蔵 → 六代目市川團十郎
風邪をこじらせて急死。(満21歳)
七代目 市川團十郎
五代目の孫で六代目の養子、1791–1859。
初代市川新之助 →(五代目)市川ゑび蔵 → 七代目市川團十郎 → 五代目市川海老蔵 → 成田屋七左衛門(蟄居謹慎時)→ 幡谷重蔵(旅回り)→ 二代目市川白猿
八代目 市川團十郎
七代目の長男、1823–54。
二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎 → 三代目市川白猿
公演先の大坂で謎の自殺を遂げる。(満31歳)
九代目 市川團十郎
七代目の五男、1838–1903。
三代目河原崎長十郎 → 初代河原崎権十郎 → 七代目河原崎権之助 → 河原崎三升 → 九代目市川團十郎
贈十代目 市川團十郎
九代目の婿養子(長女・二代目市川翠扇の夫)、1882–1956。実父は日本橋履物商で後に東京市議となった稲延利兵衛。30近くになって歌舞伎役者に転向した人物。
堀越福三郎 → 五代目市川三升 → 贈十代目市川團十郎(告別式で追贈)
十一代目 市川團十郎
贈十代目の養子、1909–65。実父は七代目松本幸四郎。
初代松本金太郎 → 九代目市川高麗蔵 → 九代目市川海老蔵 → 十一代目市川團十郎
襲名後わずか3年半で病死(満56歳)
十二代目 市川團十郎
十一代目の長男、1946–2013。
市川夏雄 → 六代目市川新之助 → 十代目市川海老蔵 → 十二代目市川團十郎
十三代目
2020年5月、十代目の長男・十一代目 市川海老蔵が『十三代目 市川團十郎 白猿』を襲名予定。