概要
大韓民国大邱広域市達西区に住んでいた5人の小学生が1991年3月26日に失踪。
事件直後から警察や軍を動員して捜索活動が行われたが、2002年に白骨死体として発見されるまで、全く捜査の糸口が掴めなかった事件であり、少年らの生前最後のセリフ、「カエルを捕まえに行く」と言うセリフ(本当はオオサンショウウオ)から少年らはカエル少年と言われている。
韓国内では
華城連続殺人事件、イ・ヒョンホ誘拐殺人事件 と合わせて、韓国三大未解決事件と言われている。
韓国国民の関心も高く1992年にはこの事件をモデルにした映画も作られた。
カエル少年事件で唱えられている犯人の説
軍人犯行説
犯行現場の山の近くに軍の射撃場があることから有力視されている説、一方で事件当日は統一地方選挙の日でそのため投票所の整理などに駆り出されている兵士も多かったほか、休日の部隊も多く当日の射撃場は閉鎖されており無人だったという証言もあるほか、犯行現場周辺で当日少年の叫び声を聞いた人は発見されているが、銃声を聞いた人は叫び声を聞いた人、当日山の周辺にいた人の中から1人も発見されていない上に韓国軍ではショットガンを使用していない事も指摘されているほか『軍人が誤射してその証拠隠滅のために殺した』という証言にも内容の信ぴょう性に疑問符がつけられていたりしている。
政党関係者犯行説
件が発生した1991年3月26日は韓国では実に30年ぶりの地方議会議員選挙が行われていました。
この選挙は盧泰愚政権の中間評価の意味合いが非常に強い選挙で各地で与野党が激戦が繰り広げられていたがその中でも大邱市では特に激戦が繰り広げられており数票差で勝敗が左右されるレベルであった。
このため少年たちの集団失踪という事件を起こしてその捜索に警察、軍人、公務員を多数動員させることで彼らを棄権させ票を操作しようと考えた政党関係者が事件を引き起こしたという説である。
北朝鮮工作員犯行説
少年たちは山中に潜伏していた北朝鮮の工作員と遭遇したため口封じのために殺されたという説。
少年たちが失踪した山は都市部に近くおまけにすぐそばには軍の基地もあるという立地条件であり北朝鮮から潜入した工作員が潜伏するには理想的な状況であることや、過去に潜伏中の工作員と遭遇した人が口封じに殺された事件との手口の類似点などから唱えられている説である。
カエル少年以外の被害者
事件から数年後一向に捜査が進展しない中でとある大学の心理学教授が
『犯人は5人の少年のうちの1人の父親で少年らの遺体は自宅の敷地内に隠されている』
と自身の一方的な事件の推理を発表し、それにテレビ局の記者が乗っかって大々的に報じなんと教授自ら『犯人』と指摘する父親を尋問したりしたほか、警察の家宅捜索の陣頭指揮をマスコミに全面公開の下で執った。結果は何も出てこず、その教授は怒れる少年たちの両親と近所の皆さんにリンチされそうになった上に大学を懲戒免職処分にされたほか名誉棄損で罰金刑を下された。しかし犯人と疑われた父親の精神的ショックは大きく騒動後飲酒量が増えそれが原因でか、少年たちの遺体が発見される数か月前に肝臓がんで死亡。
他には全国紙やテレビニュースが
『慶尚北道のハンセン病患者村に住むハンセン病患者たちが5人の少年を誘拐、殺害してその内臓を自分たちの病を治すための薬の材料にした』
という根拠不明なニュースを報じた結果その患者村に大量のマスコミが押しかけた上に警察や軍隊による徹底的な捜索が行われた。村に住む患者たちは潔白を示すために捜査に全面協力しますが差別意識が強い状況下だったためかなり人権を無視した捜査が行われたほか偏見丸出しの報道が行われたとのこと…なお真偽不明の報道をしたマスコミは一切謝罪も訂正報道もしていないようである。