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ここでは中国帝王について述べる。

中国の古来の君主の号は「」だった。中国で「皇帝」の号がはじめて用いられるのは、秦の始皇帝の時である。この一覧でも、基本的に秦の始皇帝以降は「皇帝」を名乗り、それ以前は、「王」である。

そして、前漢以降は、「皇帝」が皇族や功臣を「王」に封じるようになった。このような「皇帝」によって「封ぜられた王」は基本的にこの一覧には載っていない。ただし、五胡十六国時代・十国は載せている。

また、歴史上、例えば「太祖」といった名は、複数の人物によって使われている。よって、自分がどの王朝の人物を調べたいのかを知ることも重要である。もし、王朝名が分からず諡号や廟号しか分からないのならば、

しかし、「皇帝」と「王」の称号について、例外もある。

史記によると、五帝および夏は「帝」を名乗っている。殷にも「帝」を名乗っている者がいる。

春秋時代は、「天王」とも称した。

春秋時代の諸侯は、楚・呉・越以外は「」とは名乗っていない。越王勾践は「覇王」と呼ばれたことがある。

戦国時代の七雄以外には、周・宋・中山は「王」とは名乗っている。

戦国時代の斉・秦は、短期間であるがそれぞれ「東帝」「西帝」と名乗っている。

の子嬰は「皇帝」でなくて、「」である。

秦が滅んだあと、楚は、「」の称号を「」に変更した。

西楚の項籍は、史記によると、「覇王」を名乗っている。

五胡十六国時代には「単于」を称してから、後で「天王」や「皇帝」に昇格するものがいた。

五胡十六国時代には「天王」を称する国が多いが、後で「皇帝」に昇格するものもいる。

五胡十六国時代・十国の中には、「王」と名乗っているものがままある。

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