概要
立川祐路とは、日本のレーシングドライバーである。1998年から国内最高峰のレーシングカテゴリーであるSUPERGTに参戦しており、3度のシリーズチャンピオンに輝いている。SUPERGTでのポールポジション獲得回数24回は歴代最多であり、「最速男」の異名を持っている。
プロフィール
人物
趣味は寝ること。レースウィークであっても、睡眠時間8時間+昼寝2時間は欠かせないと平手晃平のYoutubeチャンネルでの動画で語っている。
小学校の頃は地元のサッカークラブに入り、中学では硬式テニスを始めて、団体戦で関東大会に出場している。
クールなルックスとは裏腹に、非常に攻撃的でアグレッシブな走りを見せる。ひとたびゾーンに入ると非常に豪快な走りを見せ、接触しながら強引に抜いていくこともしばしば
経歴
両親がバイクツーリングの最中にたまたま見つけたカート場で、家族でカートを始めたのがレーシングキャリアのスタートとなった。その後SLシリーズやSL全国大会等で頭角を現し、1992年には地方カート選手権のデビュー戦(スポット参戦)でいきなりポールポジションを獲得。1993年には地方カート選手権AIIクラスで最終戦を待たずしてチャンピオンを獲得。1994年には日本人初のエルフのスカラシップ生として渡仏、フォーミュラ・ルノー・キャンパス・カップで2勝を挙げシリーズ4位の成績を残す。翌1995年に帰国後、フォーミュラ・トヨタ西日本シリーズにて国内レースデビューを飾り、シリーズチャンピオンを獲得した。同年には全日本F3選手権にも参戦を開始し、第6戦TIで予選12番手から最後尾に落ちるも、15周目に6位まで追い上げ初のポイントを獲得した。1997年にはシリーズ2位になっている。またこの年には全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにも参戦を果たし、2001年にはシリーズ3位となった。その後、2005年を除き2009年まで参戦した。
1998年に参戦した全日本ツーリングカー選手権(JTCC)において攻撃的な走りを見せシリーズ4位となり、セルモのエースとなった。全日本GT選手権(JGTC)には1996年にデビューし、1999年にはセルモに移籍しその後一貫してトヨタ車のステアリングを握り続けている。JGTC・SUPER GTでの通算17勝は2位、ポールポジション22回は単独トップである。トヨタ・レクサス車との相性がいいとされる富士スピードウェイを得意とし、通算17勝のうち7勝を挙げている。 またSUPER GTに参戦するレクサス・SC430、トヨタ・スープラ(JZA80)の開発ドライバーを脇阪寿一らと共に務める。甘いマスクで女性からの人気は高い。夫人はテレビ朝日にて放送されていたバラエティ番組「内村プロデュース」の元アシスタントで元レースクイーンの我孫子千香。(Wikipediaより引用)