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立川祐路

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たちかわゆうじ

立川祐路とは、日本のレーシングドライバーである。1998年から国内最高峰のレーシングカテゴリーであるSUPERGTに参戦し、3度のシリーズチャンピオンを獲得している。

概要

1998年から国内最高峰のレーシングカテゴリーであるSUPERGTのGT500クラスに参戦しており、3度のシリーズチャンピオンに輝いている。

特に予選でのポールポジション獲得回数24回は歴代最多であり、「最速男」の異名を持っている。

プロフィール

性別男性
誕生日7月5日
出身地神奈川県鎌倉市
身長170cm
体重55kg
趣味寝ること

人物

クールなルックスとは裏腹に、非常に攻撃的でアグレッシブな走りを見せる。ひとたびゾーンに入れば非常に豪快な走りを見せ、接触しながら強引に抜いていくこともしばしば。

(国内での)左足ブレーキの先駆け的存在でもあり、彼の走りに魅了されて左足ブレーキを始めた選手もしばしばいるとか。

現役時代は富士スピードウェイを非常に得意としていた。

先述の通り、ポールポジションを24回獲得しているが、そのうちの半数である12回が富士スピードウェイでのポール獲得であり、決勝においても、キャリア19勝のうちの9勝を富士で挙げている(割合にすると実に47%)ことから、「富士マイスター」の異名も持つ。

また、チーム移籍の多い日本のレース界で20年以上にわたって同じチームに所属しているのも特筆すべき事実だろう。

10年なら谷口信輝/片岡龍也(グッドスマイルレーシング)、ロニー・クインタレッリ/※松田次生(NISMO)などの例があるが、20年というのは(文字通り)前例が無い。

これは、立川氏がそれだけ長く優れたパフォーマンスを維持しているということも意味するので、やはりすごい記録である。

ちなみに若手時代を含めて、GT300クラスではまだ乗ったことがない。

※2024年からKONDO Racingに移籍

2度のスーパーフォーミュラ王者で、現在はGTドライバーとセルモの取締役を兼任している後輩の石浦宏明選手とは懇意にしており、9年にわたってコンビを組んでいた。石浦選手のブログでは「立川様」と呼ばれている。

また、スーパーフォーミュラのインギング・セルモの監督も務めており、こちらでも石浦選手とタッグを組んでいた。

趣味は寝ること。レースウィークであっても、睡眠時間8時間+昼寝2時間は欠かせないと平手晃平のYoutubeチャンネルでの動画で語っている。時間さえあれば寝ているそうな。

また、自身のTwitterによるとキャンプ場で薪を割って焚き火をするのも趣味であるらしい。

40半ばとなった今でもGT界屈指のイケメンレーサーであり、谷口信輝と並んで女性人気投票の首位を常に争っている。

妻はテレビ朝日にて放送されていたバラエティ番組「内村プロデュース」の元アシスタントで元レースクイーンの我孫子千香氏。ちなみに二人の娘がいる。

経歴

小学校の頃は地元のサッカークラブに入り、中学では硬式テニスを始めて、団体戦で関東大会に出場した。

両親がバイクツーリングの最中にたまたま見つけたカート場で、家族でカートを始めたのがレーシングキャリアのスタートとなった。

その後SLシリーズやSL全国大会等で頭角を現し、1992年には地方カート選手権のデビュー戦(スポット参戦)でいきなりポールポジションを獲得。1993年には地方カート選手権AIIクラスで最終戦を待たずしてチャンピオンを獲得。

1994年には日本人初のエルフ(仏のオイルメーカー)のスカラシップ生として渡仏、フォーミュラ・ルノー・キャンパス・カップで2勝を挙げ、シリーズ4位の成績を残す。

翌1995年に帰国後、フォーミュラ・トヨタの西日本シリーズにて国内レースデビューを飾り、シリーズチャンピオンを獲得した。同年には全日本F3選手権にも参戦を開始し、第6戦TIサーキット英田大会では予選12番手から最後尾に落ちるも、15周目に6位まで追い上げて初のポイントを獲得した。1997年にはシリーズ2位になっている。

またこの年には、現在のスーパーフォーミュラの前身であるフォーミュラ・ニッポンにも参戦し、2001年には4度の表彰台を獲得してシリーズ3位となった。その後は(2005年を除き)2009年まで参戦したが、ここではチャンピオンを獲得することは叶わなかった。

ツーリングカーでは1996~97年に全日本GT選手権(JGTC)にスポット参戦しているが、この時は日産フェアレディZをドライブしていた。

しかし、1998年から参戦した全日本ツーリングカー選手権(JTCC)において、セルモからトヨタチェイサーをドライブ。ここで才能の片鱗を見せてシリーズ4位となり、これ以降はJGTC及びSUPER GTでも2023年までトヨタのセミワークスであるセルモでステアリングを握っている。

またSUPER GTに参戦したレクサス・SC430やトヨタ・スープラ(JZA80型)、レクサス・RC F GT3の開発ドライバーを脇阪寿一らと共に務めた。

海外のレースにおいては、2008年に童夢から伊藤大輔、片岡龍也とともにル・マン24時間のLMP1クラスに参戦したことがある(結果はマシントラブルで完走扱い)。

SNSアカウントを一切開設していなかった立川氏であったが、2022年の東京モーターショーで「レース界を盛り上げるためにやるべき」という声があったため、1月16日にTwitterを始めたことを発表。

元々ファン人気の高かった立川氏は、1ヶ月足らずで1万人ものフォロワーを得た。

2023年シーズンの最終戦として行われたモビリティリゾートもてぎ大会をもって、GT500のドライバーからは引退。セルモには2024年以降も総監督として残留する。

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