ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

劉氏の編集履歴

2012-01-11 19:32:21 バージョン

劉氏

りゅうまたはやう

劉氏 漢の開祖の家系の姓

劉氏(りゅうし)

  • 中国の氏のひとつ。現代中国において最も数の多い五大姓(李・王・張・趙・劉)の一つに数えられる。歴史的には漢(前漢、後漢、蜀、劉宋、前趙、五代の後漢)の国姓である。劉姓の2006年11月の人口は6528万人である。

劉氏の起源


(三皇五帝の一人)の子孫である祁姓の劉氏。

  • 堯の嫡流(一説には堯の長孫の式、一説には堯の第九子の源明、一説には堯の子の丹朱)の子孫が劉邑に封じられ、以来その地名を氏としたという。
  • 祁姓劉氏からは、夏孔甲の世に一人の竜を御する名手が現れている。劉累という。一頭の竜が病死するということがあったあとは、劉累は家族を伴って魯陽(今の河南の魯山)に逃れた。これが河南劉姓の起源とされる(一説には、劉累の故地は河南偃師であったともいう)。
  • 劉累の子孫からは御龍氏(職業を氏とした)、唐氏(周初の「興滅継絶」の時期に堯の故地の唐を氏とした)、杜氏(周の成王が劉累の子孫を杜に移した)、士氏(杜氏の杜伯の子の隰叔が晋に移り,士師に任じられたことから、官職を氏とした)、范氏(晋の士会(范武子)が范に封じられ,地を氏とした)の各氏が出た。

周文王の後裔の姬姓の劉氏。

  • 周成王が曾祖父の王季の子孫を劉に封じたが(河南偃師)、後に絶えた。後に、定王が劉邑に王弟の王季子(父は頃王)を封じ、季子は劉康公を称し、劉国を建てた。但し周後期には、この支流は没落した。
  • なお、姫姓と祁姓はともに黄帝を祖としている。
問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました