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二本松義継の編集履歴

2022-09-26 17:14:17 バージョン

二本松義継

にほんまつよしつぐ

二本松義国の嫡男。二本松畠山家第8代目当主。後に伊達政宗に降伏したが領地問題の末に政宗の父・輝宗を二本松城に連れ去ろうとするが最後は輝宗共々伊達軍の鉄砲により果てた。(1552年-1585年)

概要

1552年、二本松畠山家第8代目当主・二本松義国の嫡男として誕生した。


1574年に父が隠居すると二本松畠山家第9代目当主に就任し、以降11年間も伊達家との対立や中立を繰り返したとされる。それでも伊達家当主が輝宗の時代は相馬盛胤・義胤父子との戦いに援軍を出したりするなどしていた。


1585年、新たに伊達家当主となった輝宗の嫡子・伊達政宗大内定綱を攻めた際に定綱と婚姻関係にあった義継も伊達家に攻められてしまう。義継は伊達家との講和を図ろうとするが、政宗は義継の経歴から不信感を持っており「今は乱世である以上、貴様を許すわけにはいかぬのだ。貴様の領地から二本松領以外の領地はすべて没収という処置と致す。」(意訳)と言われてしまう。


この処遇に不満を持った義継は隠居していた輝宗と会見し、処遇の取り成しを何とかしてもらおうとするが、政宗の怒りをさらに買う。


進退窮まった義継は遂に輝宗を拉致し、二本松城に連れ去ろうとする。しかしあと一歩のところで伊達軍が到着した事で人質の輝宗を斬ろうとしたが、輝宗は政宗に対して自分諸共義継を撃てと叫んだ。


政宗は躊躇するも最終的に父の輝宗共々義継を射撃。こうして二本松義継は33歳で伊達軍の攻撃を受けて戦死した。


家督はまだ11歳の長男・国王丸(二本松義綱)が継ぎ蘆名氏や佐竹氏の支援を受け伊達家と戦ったが、摺上原の合戦で敗走中に討たれ二本松畠山氏は滅亡した。


創作物における二本松義継

信長の野望


過去作から登場しているが、一部の作品ではイベントのみでの登場に留まる事が多かった。


戦国無双

武器:刀剣 声:江川央生(2Empires) 宮坂俊蔵(3Empires以降)


一般武将として登場。

3Empiresの伊達家の戦史演武では史実通りに輝宗を拉致し、最後は輝宗共々死亡する。イベントでは特徴的な声で喋っており、戦史演武以外では能登畠山氏の畠山義綱とのイベントが存在する。

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