概要
文徳天皇の第四皇子、母は藤原明子(藤原良房の娘)、名は惟仁(これひと)。
略歴
嘉祥3年(850年)に生誕、同年に皇太子となる。天安2年(858年)に文徳天皇が崩御して即位する。政務は外祖父良房が行う。在位中に応天門の変が発生した。貞観8年(866年)に良房へ摂政に任じさせ藤原氏繁栄のきっかけとなる。貞観18年(876年)に貞明親王(陽成天皇)に譲位して上皇となり元慶3年(879年)に出家して翌年の元慶4年(880年)に崩御。
ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
2023-01-26 20:33:30 バージョン
せいわてんのう
0/3000
編集可能な部分に問題がある場合について
記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。
報告を送信しました
ピクシブ百科事典では今後の開発の参考にするため、フィードバックを募集しています。あなたが使っていて感じたこと、見つけた問題をお寄せください。
いただいたフィードバックへの返信は行っていません。ご利用の際にお困りの場合は、ヘルプセンターをご覧ください。
個人情報は含めないようにしてください。
送信しました
またお気付きの点がありましたら、お気軽にフィードバックをお寄せください。