魔導書
まどうしょ
偏に魔導書と言ってもさまざまな種類があるのでここでは一般的な概要と思われるものに触れる。間違っているところもあるかもしれないので書かれていることを鵜呑みにしないように。
主に別世界の住人や精霊の類と交信する手段、魔力を持ったアイテムの作り方、魔術儀式の手順などが記述されている本のことを指す。魔導書のほかに魔術書、魔法書、グリモワールとも言う。
現世における魔導書の歴史
最も古いものでは古代メソポタミア文明の粘土板にあるとされている。エジプトのヘカやアレクサンドリア図書館は多くの魔導書に影響を与えているという(この時期にヘルメス・トリスメギストスのイメージ像が生まれたと思われる)。一部ではペルシャのゾロアスターが魔術を発見したと主張がこれは間違いだという意見が多い。
古代ヘブライ人はモーセから魔術を習ったとされ、伝説的なモーセの書は一部が旧約聖書として取り入れられているという。その他エノク書なども魔導書とされることがある。
イスラエルのソロモン王は魔術師として知られ、彼が著作した魔導書は世界の魔導書の中でも有名な部類に入る(まさかとは思うが→「ソロモンの鍵」)。
キリスト教がローマ帝国の主要宗教となってからは魔導書は俗物とされ焼却処分されたりした(それ以前もローマ帝国の脅威とみなされたものは取り押さえられた)。
キリスト教による弾圧は続いたものの、中世ヨーロッパにおいて魔導書は生み出され続けた。この頃の魔導書は大きく自然魔術に関するものと神霊魔術に関するものに別れ、前者は自然(そして神)の力を借りるのでよしとされ、後者は悪魔の力を借りるので禁止された(ネクロマンシー、シャーマニズム、悪魔学などがこれの類とされた)。ただし魔術の多くは医学目的と主張するものもいて、教皇にもこれを用いたものがいるとされる。
キリスト教とムスリム教の間での交流が増えると、占星術などが魔導書に取り入れられるようになっていった(「ピカトリクス」など)。しかし「ホノリウスの誓いの書」や「天使ラジエルの書物」のようにソロモン時代の物と似た内容の物も存在していた。
16世紀にソロモンが書いたとされる書物をラテン語に訳したものがあの有名な「ソロモンの鍵」となった。他に魔術師シモンなど昔の人物が書いたとされる本が出回っていた。
近世では宗教改革、対抗宗教改革、魔女狩り、印刷技術の発達など魔導書の生成に影響を与える出来事が多く発生した。ヘルメス主義やカバラなどに対する関心も増え、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパの「隠秘哲学について」などが生まれた。悪魔学の印象も根強く残っており、これに対抗する形でカトリック教会からエクソシズムも生まれた。
印刷技術の登場により、カトリック教会の届かない国で魔導書が多く印刷された。しかしそんな中でも手書きの魔導書はそれ自体に魔力があるとされ重宝された。それでも印刷によって手軽に手に入るようになった魔導書は階級の低い者の手にまで渡るようになっていった。
この頃は異端審問や魔女狩りにより異端者とされたものは弾圧され、魔導書の多くは所有してるだけでそれにあたるとされた(魔女狩りによって多くの人が命を落としたのは有名だが、実際は魔導書を持ってすらいなかった者の方が多い)。近世が終わるにつれ魔女狩りを禁止する運動が広まり、それに伴い魔導書は再び日の目を見た。
また、ヘルメス主義やカバラは薔薇十字思想の誕生にも影響したという。
18世紀には自己啓発が広がり科学と論理的な考えが浸透していったが魔術も根強く残り続け、「少アルベール」などの魔導書が生み出された。フランス革命の後に過去の魔導書とは一線を画する(?)とされる「大奥義書」や「黒い雌鳥」などが生み出された。
スイスにある都市シュネーヴは当時オカルトの研究や魔導書の売買が盛んだった。他にも聖者に関して記述した魔導書も出た。
19世紀にはドイツの考古学者たちが魔導書に興味を持ち研究したという。イギリスでも魔導書は生み出され続けた。19世紀後期では黄金の夜明け団や東方聖堂騎士団などによってこれらは回収されたらしい。
現代ではハワード・フィリップス・ラヴクラフト氏の創作物に影響された「ネクロノミコン」やウィッカの魔導書「影の書」などが出た。
フィクションの魔導書
ファンタジーフィクションやロールプレイングゲームにおいて魔法を使うのに必要な本や魔術に関する本が魔導書とされる。現代で有名なものはハワード・フィリップス・ラヴクラフト氏の創作物「ネクロノミコン」だろう。