概要
M2軽戦車の問題点
アメリカが第二次世界大戦前に開発したM2軽戦車は優れた車輌であり、1941年6月にレンドリース法によりM2A4軽戦車36輌がイギリス軍に貸与(うち4輌のみがエジプトに送られただけで、他は本国配備)され、「スチュアート」の愛称が付けられた。しかし、対戦車砲に抗し得ない薄い装甲が問題となりM2A2までは16 mm しかなかった車体前面装甲を25.4 mm(1インチ)に強化していが、これでも37 mm 対戦車砲に対しては不十分であり、38.1 mm(1.5インチ)に強化した新型軽戦車を開発することとなった。
開発
M2軽戦車シリーズの最終型であるM2A4をベースに、装甲の強化に伴う重量増加に対応するため接地式誘導輪が採用されており、車体の上部構造も若干延長されている。しかし、ベースとなったM2そのままのリベット接合や車体両側に搭載された固定機銃など古くさい部分も残されていた。
1940年7月に制式採用となったものの、製造メーカーであるアメリカン・カー・アンド・フ ァンダリー社ではM2A4の製造が続いていたため当車の生産開始は翌年3月からとなっている。
実戦
1941年7月からイギリス軍の手により北アフリカ戦線へ投入され、その軽快さと高信頼性から優秀な偵察車両として高い評価を得ており、翌年投入されたビルマ戦線では日本軍の九五式軽戦車部隊を壊滅させるなどの活躍を示している。結局ビルマ戦線では歩兵兵力の圧倒的な差により英軍はラングーンから撤退しており、日本軍は無傷で捕獲した少数の当車両を鹵獲兵器として使用している。
1942年中期になって後継車両であるM5軽戦車が製造されるようになると次第に第一線から引き上げられ、1943年には完全に第一線装備から外された。
なお各タイプに付けられているスチュアートI~Vの名称は英軍での呼称であるが、最初にスチ ュアートと名付けられたのは米国から最初に供与されたM2A4軽戦車であった。