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戦艦扶桑の編集履歴2013/09/03 16:49:21 版
編集者:黒江きよ
編集内容:新規記事作成

戦艦扶桑

せんかんふそう

日本海軍が初めて国内で独自設計した超弩級戦艦。『欠陥戦艦』として有名。

日本海軍が独自に設計した初の超弩級戦艦であり、竣工時は世界最大の戦艦だった。

しかし十二門もの主砲を積んだ結果、弾薬庫などの被弾危険箇所は全長の5割に達し防御力に大きな問題を抱える結果となり、さらに主砲の配置そのものにも問題があり一斉射撃時には爆風が艦全体を覆ってしまう結果となった。

また機関部を砲塔が挟むという構造が災いし、ボイラーの増設によって速力を強化することができず、25kt程度と劣速であったために大東亜戦争では金剛型戦艦に比べると出撃の機会が無かった。

昭和19年10月に米軍がフィリピンのレイテ島に上陸した際、西村艦隊としてレイテ湾に殴りこみをかけたが25日未明、レイテ湾南方のスリガオ海峡で米艦隊の待ち伏せ攻撃を受けた(レイテ沖海戦)。

その際、魚雷4本がかねてよりの問題であった『全長の5割に及ぶ被弾危険箇所』に命中し大爆発、艦体が真っ二つに折れて沈没。生存者ゼロという悲惨極まりない最期を遂げた。

このスリガオ海峡での海戦で同型の山城も撃沈され生還したのは駆逐艦時雨のみだった。

近代化改装を繰り返した結果の、ジェンガかはたまた九龍城かと揶揄されるほど見た目に不安な艦橋が特徴。

↑「戦艦扶桑」タグがついているのはそうした事情による。

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