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曖昧さ回避


ジェニュイン(競走馬)

サンデーサイレンスの初年度産駒。

馬名は松山康久調教師のアメリカ修行中の思い出の馬「Genuine」から取られた。

主な勝ち鞍は、皐月賞(1995年)、マイルチャンピオンシップ(1996年)。

有馬記念(1995年)のレース後、岡部幸雄騎手が「風が強くて走る気をなくした」とコメントした事で神経質な馬として知られるようになったが、カラス、新聞紙、ファンの声援なども苦手としていた。


名馬の肖像

ジェニュイン

本物の強者

気負うことなく

好位置を進み

ただ生真面目に

前を捉え

つとめて冷静に

後ろを封じる


洗練を極めた戦術

簡単なことではない

それは本物の強者だけに

許された技量である


 名馬の肖像 2020年皐月賞より


プロフィール


来歴

※馬齢は数え表記


1992年

4月28日、社台ファーム千歳で誕生。母のクルーピアレディーはアメリカで45戦13勝の成績を挙げ、1991年に社台グループにより輸入されていた。


1994年

9月、松山康久厩舎に入厩。当初から関係者の評価は高かった。

10月15日、東京競馬場の3歳新馬戦(芝1400m)に出走し、1番人気で2着。

10月30日、東京競馬場の3歳新馬戦(芝1400m)に出走し、1番人気で1着。

11月27日、赤松賞(芝1600m)に出走し、1番人気で2着。1着は2番人気のコクトジュリアン、4着は6番人気のオートマチック皐月賞東京優駿で3着)。脚部不安で休養。


1995年

1月28日、セントポーリア賞(芝1800m)に出走し、1番人気で1着。

3月18日、皐月賞トライアルとなる若葉ステークス(芝2000m)に出走し、2番人気で1着(ルイジアナボーイが逃げて圧勝したが降着となり、繰り上がり)。

4月16日、皐月賞に出走し、3番人気で1着。GⅠ初勝利となる。フジキセキが本命視されていたが屈腱炎で出走せず引退。混戦となったが、タヤスツヨシが2着に入り、サンデーサイレンス産駒が1、2着を占めた。

5月28日、東京優駿に出走し、2番人気で2着。ジェニュインは先行しインコースを通ったが、外から追い込んできたタヤスツヨシに交わされた。皐月賞に続き、サンデーサイレンス産駒が1、2着を占めたが、良馬場にもかかわらず前週の優駿牝馬ダンスパートナーの勝ちタイムより1秒以上遅かった。距離適性に限界があると判断され、秋は菊花賞を回避し天皇賞(秋)を目指すことになった。夏は休養に充てられた。

9月10日、京王杯オータムハンデキャップに出走し、1番人気で2着。4歳馬ながらトップハンデの57.5kgを背負い、ドージマムテキ(斤量55kg)に頭差及ばなかった。

10月8日、毎日王冠に出走し、1番人気で6着。初めて連対を外す。

10月29日、天皇賞(秋)に出走し、4番人気で2着。ジェニュインは先行し、残り100mで先頭に立つが、追い込んだサクラチトセオーがゴール前でハナ差差し切った。

12月24日、有馬記念に出走し、3番人気で10着。同じ4歳ながらこのレースで勝利したマヤノトップガンは菊花賞のレコード勝ちも併せて評価され、年度代表馬を受賞した。


1996年

3月10日、中山記念に出走し、1番人気で2着。サクラローレルの強烈な末脚に屈した。

6月9日、安田記念に出走し、6番人気で4着。トロットサンダー(8歳)が直線で先行勢を全て差し切り、タイキブリザードにハナ差の勝利となった。ジェニュインは秋まで休養に入る。

10月27日、天皇賞(秋)に出走し、8番人気で14着。前年のジェニュインと同様に菊花賞を回避して出走してきたサンデーサイレンス産駒のバブルガムフェローが1着。

11月17日、マイルチャンピオンシップに出走し、1番人気で1着。2つ目のGⅠ勝利となった。

12月22日、有馬記念に出走し、10番人気で14着。レースはサクラローレルの圧勝だった。ジェニュインは休養に入る。


1997年

6月8日、安田記念に出走し、5番人気で2着。タイキブリザードにクビ差で敗れた。

8月17日、札幌記念に出走し、2番人気で4着。1着のエアグルーヴ伊藤雄二調教師は「勝っても負けてもジェニュインと何馬身差の競馬ができるかで、天皇賞でも通用するのか測れる」と考えおり、5馬身離したため「本番も勝てる」と確信を持った。

10月5日、毎日王冠に出走し、3番人気で5着。

10月26日、天皇賞(秋)に出走し、3番人気で3着。レースはエアグルーヴがバブルガムフェローに競り勝ち、秋の天皇賞が2000mになってから初となる牝馬の優勝となった。

11月16日、マイルチャンピオンシップに出走し、4番人気で9着。レースはキョウエイマーチサイレンススズカがハイペースで引っ張るが、フランス遠征から戻ったタイキシャトルが直線で抜け出し圧勝した。ジェニュインは現役引退となる。


1998年

社台スタリオンステーション種牡馬入り。初年度から人気を集めた。


2000年

レックススタッドへ移動となる。


2001年

シャトル種牡馬としてオーストラリアで供用され、ポンペイルーラーオーストラリアンカップ(GⅠ)を制するなど好成績を収めた。


2005年

オーストラリアでの実績で日本国内でもジェニュインの種牡馬としての人気が高まり、帰国。しかし、日本での産駒成績は散発的に地方競馬重賞勝ち馬を出すにとどまった。


2010年

白老ファームに移動。種牡馬としては実質引退となる。その後、社台スタリオンステーション、新田牧場、再び社台スタリオンステーションと移動し、余生を送る。


2015年

1月19日、放牧中の怪我のため死亡。


外部リンク

netkeiba.com - ジェニュイン

wikipedia - ジェニュイン

ニコニコ大百科 - ジェニュイン(競走馬)

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