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概要編集

東北地方の一部である三陸地方(青森県岩手県宮城県)の沖合(太平洋)で発生する地震の総称。

東北地方の太平洋沖にある日本海溝では、太平洋プレートが日本列島下に沈み込んでいるため、ひずみが蓄積されやすい。そのため、この地域は日本でも特に地震が多い。隣接する震源域である福島県沖地震・茨城県沖地震・房総沖地震・十勝沖地震などと連動することもある。

海底で規模の大きい地震が発生した場合、大規模な津波が発生するため、三陸海岸は昔からたびたび津波による被害を受けてきた。

過去に三陸沖で起きた主な地震編集

マグニチュード値は気象庁マグニチュード(Mj)。国外の大地震を表す時に用いられるモーメントマグニチュード(Mw)では若干値が大きくなることがある。

貞観地震編集

貞観11(869)年5月26日、日本の陸奥国(現在の東北地方)を襲った巨大地震。巨大な津波を伴ったのが特徴。震源は陸奥国東方沖の日本海溝と考えられ、地震の規模はマグニチュード(M)8.3前後と推定されている。2011年の東北地方太平洋沖地震(後述)と同様のメカニズムで起きたプレート境界地震と考えられており、『日本三代実録』によれば、陸奥国を中心に激しい揺れに襲われ、人々は立つことができなかったという。その後、巨大な津波が東北地方を襲い、現在の宮城県などを中心にその被害は甚だしく、1000人ほどが溺死した。実はこの貞観津波は、あの百人一首にも登場する。清原元輔清少納言の父)は「ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは」という一首を詠んだ。これを現代語訳すると「約束しましたよね。お互いに泣いてに濡れた着物の袖を絞りながら。末の松山を波が越すことなんてあり得ないように、決して心変わりはしないと。」となる。この「末の松山」とは、現在の宮城県多賀城市にある高台である。つまり、貞観地震の大津波は末の松山の近くまでやってきたが、波が末の松山を越えることはなかったということである。なお、貞観地震に似ているといわれる東北地方太平洋沖地震の際にも、津波は末の松山のすぐ近くまでやってきたが、末の松山を越えることはなかった。

慶長三陸地震編集

1611年(慶長16)10月28日(グレゴリオ暦12月2日)に発生したM8.1程度の大地震。震源の位置については諸説あるが、強震の後に大津波が東北地方などを襲い、伊達領(仙台藩)だけでも1783人が犠牲になったとされる。

明治三陸地震編集

1896年6月15日に岩手県沖で発生したM8.2の地震。震源は北緯39.5°・東経144°。地震の規模だけを見れば巨大であるが、震源に近い東北地方の陸地で観測された揺れは最大でも震度4くらいで小さく、地震の揺れによる被害はほとんどなかった。ところが、地震から30分後、岩手県を中心とした東北地方の太平洋沿岸(三陸海岸)に10~30mの巨大津波が押し寄せ、津波により2万人以上が死亡、日本の歴史上最悪の津波災害の1つとなった。岩手県の綾里湾では津波の高さが最大の38.2mを記録した。地震による災害がなかったにもかかわらず津波だけが甚大な被害をもたらしたのである。これはいわゆる「津波地震」と呼ばれる地震である。津波地震とは、単純に津波を伴う地震という意味ではなく、地震の規模(マグニチュード)があまり大きくない割に大きな津波が発生する特異な地震、または揺れの大きさ(震度)が小さい割に大きな津波が発生する特異な地震のことである。津波地震において通常の地震と大きく異なるのは、断層がゆっくりとすべることである。このため、地震の揺れは小さいが断層の規模が大きいため、大規模な津波が発生する傾向にある。

昭和三陸地震編集

1933年3月3日午前2時30分頃に三陸沖で発生したM8.1の地震。震源は北緯39°08′・東経145°07′。正断層型のアウターライズ地震と推定されており、地震断層の海溝に沿う長さは200~300km。地震後に巨大な津波が発生し、岩手県の綾里湾では28.7mの波高を記録した。岩手県を中心に被害は甚大で、死者・行方不明者は3064人に達した。

東北地方太平洋沖地震編集

2011年3月11日午後2時46分に発生した、M9.0の超巨大地震。震央は38°06.2′N・142°51.6′E、震源の深さは24km。日本海溝から西側に沈み込む太平洋プレートと陸側の北アメリカプレートとの境界で発生したプレート境界地震で、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの極めて広範囲にわたっている。地震波から推定された断層は、断層面が南北方向約500km・東西方向約200kmに及ぶ低角逆断層であり、すべり量は最大20~30mであった。日本付近で過去に発生した地震の中で最大規模の地震であり、世界的に見ても、1960年のチリ地震(M9.5)、1964年のアラスカ地震(M9.2)、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)に次ぐ巨大さである。宮城県栗原市で最大震度7を観測したのをはじめ、東京でも震度5強を観測するなど、北海道から九州まで、南西諸島を除くほぼ日本全域で有感となった。この地震は東北地方と関東地方を中心とする東日本一帯に甚大な被害をもたらした。人的被害は、死者1万9729人、行方不明者2559人、負傷者6233人。住家被害は、全壊12万1996棟、半壊 28万2941棟、一部破損74万8461棟。福島第一原子力発電所事故も発生し、世界中に大きな衝撃を与えた。政府はこの地震災害を「東日本大震災」と命名した。

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