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光源氏

ひかるげんじ

紫式部の小説『源氏物語』の主人公。 天皇の子で、亡き母に似た藤壺への恋を感じて以降、数多の恋を重ねていくことになる。
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概要

 紫式部によって書かれた日本最古の長編小説「源氏物語」の主人公。

 現在でも色男美男子の代名詞として、様々な作品でモチーフにされる。

 (すでに江戸時代化政期から偐紫田舎源氏などその傾向は存在した)

「光源氏」というのは通称であり、「源氏物語」のほとんどの登場人物と同じく、本名は不明。


人物

 光り輝くばかりの美貌と、突出した才能に恵まれ、劇中でも様々な女性と関係を結び、同時に出世街道を邁進して、一時の左遷を経ながら、ついには准太上天皇(上皇に準じた扱いを受ける)としての待遇を受ける。


 女性遍歴が華々しく、劇中で明確に判明しているだけでも13人もの女性と恋愛(もしくは結婚)関係にある生粋のプレイボーイでもある。

 もちろんアバンチュールばかりしていたわけはなく、政治家としての面もあるはずだが、作中には政治的駆け引きや家政運営のシーンは出てこないので、手腕のほどは不明。

 ただ、父方の叔母で跡取り息子の外祖母でもある大宮に語った教育論では

  1. 自分は天皇の息子としてチヤホヤされてきたが、息子や孫世代だとそうはいかないだろう
  2. だから、実務官僚として一人前レベルの学問を身に着けさせるべく息子を大学寮に入れた

と語っている事から、実務担当の下級貴族や役人の仕事に理解があり、彼等の視点で一人前レベルの行政処理能力や教養が無ければ高い地位を得ても部下を心服させられないと確信している点は垣間見れる。

 少なくとも、実務担当の部下を蔑ろにするような人物ではなく、地位には相応の責任と部下の仕事への理解が必要と自覚している分、生まれや血縁にだけ頼っている貴族よりはマシな政治家であろう。

(なお、余談だが、この箇所の光源氏の台詞を現代語訳にすると「(中国由来の)学問の才が有ってこそ、大和魂を活かせるのです」と云う意味になる為、国粋主義的な時代の日本において「源氏物語」が批判される理由の1つとなった)


 性格は基本的には真面目で誠実であり、関わり合いを持った数多くの女性たちを大切に扱っている(ただし、このことについては解釈が分かれる。理由は後述の現在の評価の項目より)。

 母親の桐壺更衣を早くに亡くした影響でマザコンに近い女性への憧れが在り、藤壺中宮との一件によりそれが顕著となって、以後母親に似た女性に強い思慕を抱くようになり、この性癖が当人にも周囲にも様々な波乱を呼ぶ原因ともなった。

 ただし、粘着質で底意地の悪い面を見せる事もあり、紫の上の父の兵部卿宮を報復的に冷遇したり、昔の自分と同じ事をしていた(後述)柏木に陰湿な当てこすりをして間接的に死に至らしめたりもしている。

執念深く根を持つ所もあり、異母弟である八の宮に対しても、弘徽殿大后によって東宮の対抗馬として利用されたとはいえ、自分の敵となったとして縁を切っている。


 なお、光源氏が海を見ながら「御覧なさい。まるで私の心のように清らかな海ですね」とキザな事を言った途端に大雨が降り出して全部台無し、と云うギャグみたいな場面も有り、また、幼ない頃に渤海国の外交使節の中に居た人相見から「帝王になる相は有るが、もし帝王になれば国を乱し人民を苦しめる。かと言って大臣となって帝王を補佐する相は無い」と言われる場面が有る(これが臣籍降下の一因)など、作者が光源氏をどう思っていたのかは一考の余地が有る。


 平安時代の貴族としては珍しく父親に養育されたので、父親に対する畏敬の念は深い。

 柏木を間接的に死に至らしめた後に、嘗ての父帝が自分と藤壺の過ちに気付かなかったのではなく、気付いた上で息子と妻への愛情を惜しみなく注ぎ、幽霊になってまで兄との仲を取り持ってくれた可能性に思い至り、自身の狭量さと父の愛の大きさを思い知らされる。

 柏木の子である薫を父として責任もって養育する事で罪滅ぼしにしようと決意する点から、少なくとも良心や自省が無い人物ではない。


生涯

 物語開始時の天皇であった桐壺帝の第二子として誕生。母の桐壺更衣は桐壺帝に寵愛されていたが、その父(光源氏の母方の祖父)が既に死んでいたうえに、桐壺更衣も光源氏が3歳の時に皇太子の母である弘徽殿女御達の虐めを受け続けた末に亡くなり、後ろ盾が無いために皇位継承から外れざるを得なくなった子供は、「源」姓を賜って臣下として生きる道を強いられる。

 母を幼くして亡くし、有力な外戚も居なかったので、平安時代の貴族としては珍しく父親に養育される。


 不遇の幼少時代を過ごすも、容姿・才能ともに恵まれ、勉学でも音楽でも突出した才能を示した。光り輝くような美貌から光る君と呼ばれる。桐壺更衣に似ているからという事で入内し、光源氏を育てた藤壺中宮に母親の影を見い出し、思慕するうちにそれが恋心に変わっていく。それは、元服して左大臣の娘で父方の従姉である葵上を正妻に迎えても収まる事はなかった。

 葵上との結婚も、桐壺帝の「妹夫婦に有力な外戚が居ない息子の後見人になって欲しい」、左大臣夫妻の「政敵の娘である上に弱い者虐めをする女が娘の姑になるのは不安だ」と言う親心故の、本人達の幸福を優先した上での縁談だったのだが、当人達が若年で大人の貴族の恐ろしい世界を理解していなかったことも有り夫婦仲は冷たい物だった。


 藤原惟光と源良清という腹心の家来の援護を力に、出世街道を邁進する源氏だったが、ある時病にかかり、その静養に北山へ赴いた際、幼い紫の上(若紫)に一目惚れをし、藤壺中宮の姪でありながら、父の正妻に冷遇されて実家と疎遠だった若紫を、養育していた祖母の没後に略取(ありていに言うと誘拐してしまう六条御息所の生霊により葵の上が亡くなってから紫の上を妻として迎えたが、後ろ盾が皆無の紫の上を正妻とする事はできなかった。


 その後も、左大臣とその息子の頭中将の支持を受け、出世の道を突き進むが、事もあろうに藤壺中宮を寝取った上に子供(のちの冷泉帝)まで生まれてしまい、こちらはばれずに済んだが、左大臣の政敵の右大臣の娘であり兄の朱雀帝の妻である朧月夜を寝取ったのはばれてしまい、須磨や明石へ引きこもらざるを得なくなる。しかしそこで、桐壺更衣の従兄弟の娘である明石の君(明石の御方)と逢瀬を重ねる。

 しかし、右大臣が亡くなった事もあり、朱雀帝は光源氏を京へ呼び戻し、冷泉帝を即位させてその後見にする。太政大臣になり、広大な邸宅・六条院に妻達を住まわせ、栄華の絶頂を極めた。


 ――が、朱雀院の娘であり藤壺中宮の姪でもある女三の宮を正妻とした時から、光源氏と周囲の運命は暗転していく。女三宮の幼さに光源氏は失望し、紫の上は衝撃を受けて病に倒れてしまう。その上に、かつて桐壺帝が光源氏に藤壺中宮を寝取られたように、柏木(頭中将の息子)に女三宮を寝取られ、子供のまで生まれてしまう。光源氏に当てつけられた柏木は亡くなり、女三宮は出家。光源氏はこの件を誰にも明かさず、薫を自分の子として育てた。

 最愛の紫の上を喪ってからは嵯峨出家生活を送り、その3年後に世を去った。


 つまり、人生の絶頂→人生のドン底→本人の主観では「大事なものを全て失なった」状態なのに、事情を知らない者からすると人生の絶頂期のまま→絶望して出家→良い事無いまま死亡と云う晩年を送った訳であり、このせいか、平安時代の内に「光源氏の死を描いた『雲隠』の帖が後世に伝わっていないのは、読んだ者が次々と世の無常を感じて出家した為、封印作品となった」と云う伝説が生まれていた。


現在の評価

 上述のもろもろを見れば分かる通り、彼の女性関係は余りにも派手である。

 特に若い頃は美貌と若さを武器に割とやりたい放題しており、外に恋人を作ること自体は平安時代の貴族としては普通とはいえ「私は何をしても許される身なので人を呼んでも無駄です」とパワハラ紛いの台詞を口にし、朝目覚めたら死んでいた共寝の女の処理を部下に任せて自分は遁走といった描写もある。

 しかし「長いこと冷遇していた正妻と和解しかけた直後に彼女が他界」「長いこと源氏の一番であった藤壺の君と関係がギクシャクしたまま死別」といった挫折を経てだいぶ性格が丸くなり、壮年期には内縁の妻を大事にしつつも、自分を支えてくれた女性たちの生活の世話もきちんとするという誠実なところも見せるようになった(内縁の妻との関係は、上述の女三の宮事件でこじれてしまうが)。

 そのため、若い頃の源氏だけ見れば評価は「女と見れば見境なく手を出すクソ野郎」となりがちであるが、性格がだいぶ改善した壮年期まで含めて考えれば「亡き母親の面影を追いかけ続ける悲劇の貴公子」と見ることも可能となる。

 また、若い頃の源氏にも和歌を使いこなして女性の心を掴んだり、祭事で舞をする務めをしっかり果たしたりといった良い意味での風流人としての振る舞いを見ることもできるし、壮年期の彼についても女三の宮の一件などから「性格が良くなったと果たして言えるのか」と問題提起することも可能だろう。要するに、絶賛もできないが酷評もできない評価の難しい人物である。

 一夫多妻が基本であった平安時代においても、個人的な感情として浮気をされるというのはやはり男女を問わずに屈辱的なものであり、浮気された女が恨みつらみを書き連ねた手紙や歌というのも現存している。そのためか、紫式部自身は光源氏に対して何の評価も残していないものの、「美男子でなくとも女性関係の清らかな男が女を幸せにしてくれる」という価値観は持っていたようである。

 

ロリコン疑惑

 この話に関しては、現在でもかなりネタにされており「いくら母親似だからといって幼女に手を出すのはどうなのか?」と現代でもロリコンの代表例のように扱われる。

 釈明しておくが、光源氏はマザコンであったとしてもロリコンではない。あくまでマザコンから派生した性癖の結果である。

 そもそも真性のロリコンであれば幼女そのままの姿が理想であって、時よ止まれ!成長なんてしないでくれと願う所だが、光源氏は自分好みの女性に育ってくれよと成長を期待しているのでロリコンとは対極の位置にいると言える。

 どっちかというと拗らせ過ぎてこっちに目覚めたというべきか……

 ただ、光源氏と言えばこのイメージというのは強く、以後、幼女を囲って自分好みに育て上げ、その少女を自身の恋人ないし伴侶とするパターンを『光源氏計画』というようになったのは、完全に自業自得と言えるだろう。

 …あ、あとマイナーだけどこの御方も似たようなことやってます。

 それと赤いこの人なんかも似た性癖を持っていたり。


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