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加藤一二三

かとうひふみ

日本の将棋棋士九段。将棋界のレジェンドでもある。愛称は「ひふみん」。
目次 [非表示]

基本プロフィール

棋士番号64
生年月日1940年1月1日(83歳/2023年現在)
出身地福岡県嘉麻市
師匠故・南口繁一九段 → 剱持松二九段(1998年~)
段位九段(退役)
保持タイトル-
竜王戦1組-4期
順位戦A級以上-36期

棋歴・戦績

1940年1月1日、福岡県嘉穂郡稲築村(現・嘉麻市)生まれ。

1951年9月、南口九段門下として3級で奨励会に入会。

1954年8月、四段昇段(プロ入り)。14歳7か月でのプロ入りは当時の史上最年少記録であり、これを破ったのが藤井聡太である。


8月のプロ入りの場合、順位戦は原則来年度が初参加となるが、この期はたまたま駆けつけでの参加が認められ、しかも昇級してしまう。

以降は毎期に渡って昇級を続けて、1958年4月に18歳でA級昇級。史上最年少でのA級八段となった。


なお現在、最年少での八段昇段については藤井聡太二冠が記録を更新しているが、当時は八段昇段規定はA級昇級のみだったうえ、1年に一度しか昇段することができなかったため、加藤のA級昇級による八段は未だ史上最年少となる。

本人によると、マスコミ等に大きく騒がれたのはプロ入りのときでなく、このA級入りのときだという。


A級では1期目が4勝5敗と負け越したものの、2期目となる翌年には8勝1敗で1位となり、大山康晴名人への挑戦者となった。


この間も早稲田大学に入学したり(当時の将棋界は現在以上に学歴不要論が強かった)、結婚をしたりと話題が多かった。


だがこのときの第19期名人戦で大山名人に対して1勝4敗で敗退すると、一流棋士ではあるもののこれまでの快進撃からすると物足りない成績に落ちついてしまう。

1968年(昭和43年)の第7期十段戦で初のタイトル獲得となるも翌年取り返されている。


転機となったのが1976年の第15期十段戦で、それまで1勝19敗と大幅に負け越していた中原誠十段(ほかに名人などを保持)に3勝4敗と負けはしたものの拮抗した勝負を繰り広げ、同年の棋王戦大内延介八段を破って2期目のタイトル獲得となった。以降、タイトル争いの常連となる。


そして1982年の第40期名人戦で4勝3敗1持将棋・2千日手という実質十番勝負の大激戦の末、中原名人を破り奪取、初の名人位獲得となった。


その後は1985年に王位戦で高橋道雄七段にタイトルを奪われて以来タイトル戦と縁がなくなり、一流棋士の証であるA級からも2002年度の第60期に成績不振で陥落、以降成績は低迷していった。


これまでの名棋士、大棋士は、全盛期よりも大幅に低い格で戦うのをよしとせず、自分の衰えを自覚すると、引退、またはフリークラス転出という形で、自ら身を引くことが多かった。だが加藤は地位を落としても指し続けることを選んだ。


2017年3月、第75期順位戦C級2組での成績不振によりフリークラスへ陥落、フリークラス規定(65歳以上は強制引退)により引退が内定する。

2017年6月20日、第30期竜王戦昇級者決定戦で高野智史四段(現五段)に敗退したことにより引現役引退。

名人経験者としては初めて、順位戦・フリークラス規定による強制引退まで指し続けた。


引退直前に、自身の持っていた最年少デビュー記録を破った藤井聡太四段のデビュー戦となる対局(史上最大の62歳差)が組まれたころから、一般にも認知度が高まりはじめ、引退後にワタナベエンターテインメントと契約。バラエティ番組でキャラクター性を発揮。

愛称の『ひふみん』は2017年の新語・流行語大賞トップテンに入った。


若手時代の成績と比べると悪く言えば晩節を汚したイメージが将棋通の中では漂い、下記の成績ですら育成失敗の感があるとされる。


主な記録

通算

  • 2505戦1324勝1180敗(対局数はタイトル戦での1持将棋を含む。対局数と敗戦数は歴代1位)
  • 現役期間62年10か月
  • タイトル戦登場24期、うち獲得8期
  • 棋戦優勝23回

年少

  • プロ入り14歳7か月(藤井聡太に次ぐ歴代2位)
  • 順位戦A級18歳3か月(歴代1位)
  • 現役最年少棋士は、1962年(昭和37年)4月に高島弘光九段がプロ入りするまで

年長

  • 現役引退77歳5か月(歴代1位)
  • 最年長勝利77歳0か月(歴代1位、飯島栄治七段との対局)
  • 順位戦A級の最後の陥落62歳3か月(大山に次ぐ歴代2位)
  • 現役最年長棋士は、2015年(平成27年)3月末に内藤國雄九段が引退して以来
  • 年齢差対局62歳6か月差(歴代1位、藤井聡との対局。結果は藤井勝ち)
  • 年齢差対局で、年長者側の勝利57歳10か月差(歴代1位、増田康宏との対局)

棋風

完全な居飛車党で、振り飛車はまず指さない。

居飛車党の対振り飛車戦法は居飛車穴熊が主流だが、彼は棒銀を愛用した。

居飛車同士の場合は矢倉を最も好んだが、角換わり棒銀、横歩取り、ひねり飛車、雀刺し、右四間飛車、矢倉中飛車など数多くの戦法を指しこなしている。


どちらかというと奇抜な手よりも本筋の手がよく見えるタイプで、早指しに強い。

一方で、あまり考える必要のなさそうな局面で長考する癖があり、大抵は対局相手よりもかなり早いタイミングで秒読み(残り10分以下)になっていた。

全盛期はそれでも正確に指し切って「一分将棋の神様※」と呼ばれたが、やはりミスで好局を失うことも多く、後年「私は逆転負けが多い」と認めている。


彼はキリスト教徒ということもあってか、この呼称を好んでおらず、「一分将棋の達人くらいにして下さい」と語っている。


駒音が大きい。中でも第52回NHK杯テレビ将棋トーナメント2回戦第13局での内藤國雄九段との狂気の対決は有名。


食事エピソード

将棋界でも指折りの大食漢で、多数のエピソードを持つ。

その衰えぬ食欲が体力と頭の回転を支えているのかもしれない。

  • 1981年の米長邦雄との対局時、二人揃って大量のみかんを注文し、部屋のあまりのみかん臭さにたまらず記録係が飛び出していったという。
  • 板チョコ10枚が自販機にお札を入れるかのごとく吸い込まれていったとか。米長氏に声をかけられた時は二人仲良くチョコを食べていた。
    • 後に語ったところによると若干尾ひれがついており、2日で10枚だったそうな。それにしたって十分多いが。
  • とあるタイトル戦での昼食はトースト8枚にオムレツ2人前、ホットミルクとミックスジュースとコーンスープを2人前ずつ、しかも対局開始後にカルピスをドリンクジャーで追加注文。
  • おやつのケーキは3つからが基本。5つ頼んでいたことも。
  • また別の対局時はカキフライ定食とグリルチキン定食を完食。ちなみにこの時2015年。御年75とは思えぬ健啖ぶりである。

関連項目

将棋 棋士 ひふみん


外部リンク

加藤一二三|棋士データベース|日本将棋連盟

プロフィール (ワタナベエンターテインメント)

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ニューヨーカーマガジンによるインタビュー

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