この爵位は東アジアでの用法と、ヨーロッパでのViscountの訳語としての用法があり、意味が異なる。事情は爵位の項目に詳しい。
東アジアでの子爵
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の5つの爵位(五爵)の第4位にあたる。
戦前の日本では伯爵以上叙爵の条件に当たらない公家、大名と、明治維新の際に功績のあった者等に与えられた。会津松平家、松平容大(松平容保の嫡男)は改易により減知転封となり、本来なら侯爵叙爵クラスの石高だったにもかかわらず子爵となった。この他、分家する場合は男爵が与えられるのが普通だが、公爵家・侯爵家からの分家の場合、子爵が叙される場合があった。
ヨーロッパでの子爵
ヨーロッパの貴族を呼ぶ場合、子爵はViscountの訳語に充てられている。Viscountは「副伯」の意味であり、伯爵領を4分割した程度の広さの領域を支配していた、ガスコーニュの子爵領群が典型的。日本では郡や広い市、町に相当する面積で、小大名や旗本の領地程度であった。
半独立の領主として実質的な権力を持ったのはフランスの中だけであり、他国では絶対王政が確立した後、貴族の名誉称号のランクを細分化するため、伯爵より下で男爵より上の階級として輸入した程度である。イギリスのメルバーン子爵ウィリアム・ラムは「イギリスには本来伯爵と男爵しかない」と述べている。またミラノの僭主で後にミラノ公となったヴィスコンティ家の苗字は、Viscountの複数形に由来している。