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岡部元信

おかべもとのぶ

今川義元・氏真のち武田信玄・勝頼に仕えた戦国武将。今川家と武田家に忠を尽くしたが、最後は遠江高天神城における防衛戦にて奮闘するも戦死した。1510年前後~1581年。
目次 [非表示]

概要

今川家臣時代

今川氏に仕えた重臣の岡部親綱の嫡男で武勇に優れた将であったと伝わっている。

同族には岡部正綱・長盛父子や土屋貞綱がいる。

生年は不明だが、1581年に亡くなった時に享年が70近かったという記述から、逆算すると1510年頃の生まれではないかとされている。


幼年期~青年期までの記録はないがこの場合だと今川家当主が今川氏輝の時代には元服していた可能性が高いが、初見は今川義元が当主になっている1542年である。諱の元信は義元から一字を拝領したものと思われる。


1548年に発生した第二次小豆坂の戦い尾張織田信秀の軍と戦い、元信は勝利に貢献している。


その後も三河・尾張方面を転戦し対織田弾正家の信秀・信長父子との戦いで数々の武功を上げる。しかし、一時的に所領を没収された為、元信は今川家の同盟先であった甲斐の武田晴信(信玄)の元に身を寄せている。


1560年の桶狭間の戦いにおいては、尾張の最前線軍事拠点であった鳴海城に籠城し、義元の本体が来るまで、織田軍の攻撃から持ちこたえた。

しかし、織田信長の捨て身の奇襲によって主君義元は討死。さらに、松井宗信井伊直盛蒲原氏徳ら譜代の重臣たちも多数が戦死し、生き残った将も我さきに駿河に向かって撤退するなか、元信は敵地に残り鳴海城で激しく抵抗を続けた。

そして元信は義元の首の返還を条件に鳴海城を開城すると信長に伝え、信長は元信の忠義に感服し丁重に義元の首を送り届けた。


元信は悠然とした態度で城を明け渡し、その途中に水野信元の居城であった刈谷城を襲撃して水野信近(信元や於大の方の弟、勝成の伯父)を討ち取って城を焼き払った。

元信の行動は、義元の後継者・今川氏真から賞賛され、感状を与えると共に元信の旧領を全て与えている。のち氏真から一字拝領して諱を真幸としている。


義元亡きあとは氏真を良く支えるが、甲相駿三国同盟を破棄した信玄と今川家から自立した徳川家康挟撃に合い、1568年に今川家は滅亡する。

真幸は激しく武田軍に対して徹底抗戦するが、降伏した。


武田家臣時代

武田家に降伏後は信玄との深い繫がりがあったことから厚遇され、岡部一族の惣領としての地位を築く。この時に信玄から「信」の一字を偏諱として受け、再度「元信」と名乗ったとされている。

同族の岡部正綱と共に旧今川家家臣でありながら信用を寄せられていたと伝わる。

実際に信玄・勝頼によって露骨な程の厚遇を受けており、元信の領地の貫高は5倍近くにまで加増されており、元信の子息を勝頼の旗本して甲府に出仕を命じられたりしている。


武田軍による徳川領侵攻では武勇を発揮して勝利に貢献し、長篠・設楽原の戦いの敗戦により遠江が徳川軍の侵略に晒されるが、その度に撃退に成功している。中でも印象的なのは、長篠・設楽原の戦いの直後に徳川軍が小山城へと侵攻した際、それを撃退したこと。

また同族で水軍を率いていた土屋貞綱(岡部貞綱)が長篠で討死した為、水軍も率いるようになり、貞綱の養子で勝頼の側近でもあった土屋昌恒に娘を嫁がせることになる。


そんな功績もあってか、1579年に元信は遠江方面の軍事指揮官の地位と高天神城の城代に任命される。しかし、その一方で徳川軍は本格的な遠江への軍事侵攻を開始、高天神城を狙いを定めるが簡単に落とすことは不可能と判断して、長期戦に備えて周囲に城や砦を築く。


1580年8月から家康は本多忠勝大久保忠世鳥居元忠らの軍勢と共に本格的な兵糧攻めを開始、元信らは援軍の派遣と兵糧の搬入を要請するが、当時勝頼は敵対していた北条氏政とにらみ合っており、援軍を送ることも出来なければ満足な兵糧も送ることが出来ず、結果として高天神城を見殺ししてしまい、半年近い籠城で城兵の半数が餓死してしまう。


明くる1581年3月25日、元信は僅かな生き残りの城兵と共に酒宴を開く。そして夜陰に乗じて元信らは討って出て、敵陣に突撃する。元信も老体でありながら、7、8人程の徳川兵を斬って捨てる。しかし、忠世の末弟・大久保彦左衛門と戦い彦左衛門またはその家臣に討たれた。(第二次高天神城の戦い

なお、城兵の多くはほとんどが討死したと伝わる。


創作物

戦国大戦


ver1,0仕様


「……うるせえ。

    俺に話しかけるんじゃねえ」


今川家所属のレアリティはSRの2コスト武力6統率6の特技気合・攻城持ちの弓として参戦。

特技は2つ持つとはいえ、スペック上は非常に便りない。

その為、計略メインの採用となる。


計略は士気4の精鋭弱体弓術。自身の武力を+4し、弓を当てている相手の武力を-3するというシンプルなもの。

試合時間の1/3も実質武力13の弓が戦場に居座るという、スペックを犠牲にした分非常に優秀な計略である。


ver2,0仕様


「たとえ誰に仕えようとも

戦い続けることが、我が天命……!」


今川家所属のレアリティはRの3コスト武力8統率10の特技気合・攻城持ちの騎馬として参戦。

コスト比に対する武力は低いが、特技気合の耐久力と高統率持ちの騎馬なので連続突撃や城持ちなので虎口に強引に押し入る等出来る仕事も多い。

ver3,0からはコストが2,5、武力7に下がってデッキ編成がしやすくなった。


計略は士気6の「鳴海城の抵抗」。今川家限定の全体強化号令で武力+5し、同時に何かしらの計略にかかっている自軍の効果を消して兵力を6割強化するというもの。

一件するとシンプルに武力+5する号令で使いやすい計略に見えるが、長時間計略が続く精鋭計略を売りに戦う今川家では相性が悪い。

さらにフルコンを狙うにせよ、士気が非常に重いため推奨出来ない。

幸いにも同士気号令以上の性能はあるので、終盤の攻防において遺憾なく力を発揮してくれるだろう。


ver3,2仕様


「撤退などできるか!

お屋形様の仇……

信長の首を獲るまでは!!」


今川家所属のレアリティはSRの2,5コスト武力8統率4の特技気合・軍備持ちの槍として参戦。

2,5コストのしてスペックやや物足りないように感じるが、気合・軍備持ちの為同武力の槍足軽よりもかなり耐久力が高いのが売り。


計略は士気7の「御首級の奪還」。今川家限定の全体強化号令で今川家の味方の武力と移動速度が上がり、さらに対象の味方の統率力が本来の値より高いほど武力と移動速度が上がる。一定以上武力が上がると武力によるダメージを軽減する。


漫然と使っただけでは大した効果がないが、条件を満たした時の爆発力は凄まじく、終盤での守勢攻勢で非常に強いカードになっている。


レイリ

主要人物の一人として登場。

主人公・レイリ(架空の人物)を救命した。


風林火山(大河ドラマ)

演:宮路佳伴

演じる宮路は、同作品にて元信の父・岡部親綱も演じていた。


どうする家康

演:田中美央


関連人物

今川義元 今川氏真 武田信玄 武田勝頼

岡部正綱 土屋昌恒

徳川家康 大久保彦左衛門

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