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人名の編集履歴

2015-11-11 17:20:44 バージョン

人名

じんめい

人名とは、人に付けられる名前のこと。

概要

人名の構造は文化によって異なり、その種類は多岐にわたる。


現代では、個人をさす「名(名前)」と、その人の所属する家族共同体や、血縁的ルーツを表す「ファミリーネーム」「」「」(日本の名字苗字に相当)」で構成される事が多い。これは、欧米列強、中国日本の影響とされる。


アラブ人、アイスランド人など、現在も姓氏を持たない民族もいる。このような民族には個人の識別のため父の名を添える習慣がある(例えばアラブ人の場合はサッダーム・フセインで「フセインの子サッダーム」、アイスランド人の場合はビョーク・グズムンズドッティルで「グズムンドの娘ビョーク」という意味になる)。


その他、人名を構成する要素として、洗礼名ミドルネームなどがある。


欧米列強の影響を受けた地域は「名前・姓」の順の人名、中国や日本の影響を受けた東アジア周辺は「姓・名前」の順の人名が多い。


なお、中国と日本の人名が「姓・名前」の順になった経緯はそれぞれ違う流れである(後述のとおり、厳密には日本の名字と、姓は異なるものである)。


日本の人名

現代の日本の人名は「苗字・名前」の順となっており、この人名体系は「氏名」と呼ばれる。


姓と氏、苗字は現在混同されているが、本来はそれぞれ別のものである。昔の武士公家などは長いフルネームを持っていたが、姓と氏は明治時代に廃され全ての日本人は苗字を名乗る事とされた。


武士の名

現代で「織田信長」と呼ばれている人物は、「織田三郎信長」(おださぶろうのぶなが)とか「織田上総介信長」(おだかずさのすけのぶなが)とか「織田弾正忠平朝臣信長」(おだだんじょうのちゅうたいらのあそんのぶなが)などのような名前を名乗っていたとされる。この名前は時と場合によって様々に変化していた。

 上記の名前の内容は以下のようになっている。


織田 … 苗字。家名。その人の所属する家族の名前。一族が支配する本拠地の地名に由来するものが多い。

弾正忠、上総介 … 官位。通称。仮名(けみょう)。職業のようなもの。現代でいう「部長」のようなニュアンスで、部下が上司を呼ぶ時はこれを用いた。弾正忠は正式な物だが、上総介などは朝廷から金品と引き換えに貰ったり、「俺上総介だったらかっこいいんじゃね」みたいなノリで名乗ったりしていたらしい。

三郎 … 輩行名。仮名。この中では、現代の「名」に近い意味合いを持つもの。親が子を呼ぶ時などに用いられた。

 … 氏(うじ)。自分の一族のルーツを示す。しかし、武士は箔付けのため実際の系譜とは無関係に「」「」「藤原」のどれかの氏を名乗ることが多く、信長の場合も平氏であることは名目上のものでしかない。

朝臣 … 姓(かばね)。家格。朝廷との関係。

信長 … 諱(いみな)。実名。その人の魂を指す感じの名前。現代の「名」に当たるものだが、軽々しく使ってはいけない名前だった。


このように、武士の名は複雑な構造をしていた。この成り立ちは、中国の文化の影響も大きかった。ただし、上記のフルネームを実際に使うことはまずなかった。通常は苗字+輩行名、氏+実名のワンセットで用い、後者は公的な場や重要書類で用いられた(坂田聡「室町時代の百姓の家」『村の戦争と平和』)。また坂田によると、女性は鎌倉時代には氏を名乗り、史料には(諱は書かないので)「藤原氏女」「源氏女」等と書かれていた。しかし室町時代には、(武士・庶民を問わず)女性の多くには氏も諱も用いられず、幼少期の童名で生涯呼ばれるようになったという。


上述のように、大藤『日本人の姓・苗字・名前』によれば、諱を他人が呼ぶのは身分が上あるいは上司であっても非礼とされていた。鎌倉時代の『吾妻鏡』によれば将軍源頼家すら家臣の実名を呼んだことで母の北条政子に注意されたという。もちろん、宛名書きでも相手の実名は書かない。ただし、既成秩序が崩れて実力主義優先となった戦国時代には、「信長」「家康」等と呼び捨てで史料に記載されたり、宛名書きで「政宗様」等と記載する例があった。これは、高名な人物なので名前だけで伝わるというのが最高位の敬意を籠めた表現に相当するのだと解釈されている。豊臣秀吉の天下統一以降、諱ではなく官位で名乗りあう儀礼へと次第に変化していったとのこと(大藤修『日本人の姓・苗字・名前』)。


具体的な用法について、大藤修『日本人の姓・苗字・名前』から書状などでの宛名書きや署名の儀礼(書札礼)を引用する。安土桃山時代で尊大に署名する時は「家康」等と名前だけを書き、相手を敬って署名する時は「石田治部少輔三成」と苗字や官位を付けた。自分は無名の小者なので詳しく名乗ります、というのが相手を敬う表現に相当したわけだ。宛名は「政宗様」と名前だけを書くのが相手を高名と見なす尊敬表現で、「羽柴侍従殿(これも伊達政宗のこと、秀吉から羽柴の苗字を与えられていた)」等と苗字や官位を詳しく書くのが無名の輩と見下した表現である。諱に代わって官位で名乗る江戸時代になると、へりくだった署名では苗字+官位で「相馬因幡守」等と記載した。目下の相手を宛名にするときも諱は使わず、苗字+官位で「相馬将監殿」等とした。敬意の表現は、同様に高名であることを示すために苗字を省略した。例えば主君が部下に書状を送るなど、尊大に署名する時には「因幡」と官位だけを記載した。また、相手を敬った宛名の書き方では「因幡守様」等と苗字を省略した。


公家の名

公家の名は概ね武士に準じていた。苗字もあり、本邸所在地由来の「近衛」「九条」や、山荘の所在地に由来する「山科」「醍醐」、先祖からの菩提寺に由来する「西園寺」「徳大寺」といった苗字があった。ただし、これら公家の苗字は自らの家を表示するための私称であって、朝廷が発給する文書では「藤原朝臣」のような氏と姓が記載され(もちろん、朝廷が武士に文書を発給する時も同じ)、また、天皇から位階・官職を受け取る文書では氏+姓+実名(諱のこと)で記載された(これも武士が受け取るときも同様)(大藤修『日本人の姓・苗字・名前』)。


庶民の名

武士や貴族のような官位や姓、氏を持たない庶民は、公的に名乗ることができるのは「名」だけである・・・というのは、実は江戸時代のルールである。実は姓や苗字も、庶民はたいてい持っていた。古代において、庶民の姓は部民として所属した職業や支配者に由来する「弓削部」「土師部」「蘇我部」といったものが地方官から与えられたらしい(大藤修、同書)。また、室町時代ごろには、庶民にも苗字が広まっていったという(坂田聡「室町時代の百姓の家」『村の戦争と平和』)。


名前としては実名以外に、「次郎」「松三郎」のような輩行名が用いられた。中世後期になると、輩行名に官職由来の「左衛門」「兵衛」といった語句を付けた通称が普及した。近世には「右衛門尉」のように「佐」や「尉」のような等級も付した正式の官職名は官位叙任を経ない限り規制されたが、等級なしで「太郎左衛門」「三郎兵衛」等と通称を名乗るのは許されたらしい(大藤修『日本人の姓・苗字・名前』)。


大藤によれば、中世前期には姓+実名を文書に記載することが多く、中世後期になると苗字+通称が多くなった。坂田は、丹波国山国荘(現在の京都府京北町)の百姓身分に「藤井国宗」「三輪重景」といった氏+実名や「今安孫太郎」「田尻信濃」といった苗字+輩行名・官職名の事例を見出している(坂田聡「室町時代の百姓の家」『村の戦争と平和』)。坂田によれば、江戸時代には、庶民の中で庄屋や名主など特別の許可を得た者だけが苗字を公に名乗ることを許された。これが「明治時代まで日本人のほとんどは苗字を持っていなかった」などと誤解されて喧伝されることがあるが、上述の通り事実ではない。


中世庶民の暮らしについてよく研究が進んでいる土地に近江国菅浦という土地(現代の滋賀県西浅井町)がある。この土地等の事例によれば、中世庶民の名には年齢的、また階級的な区別もあったらしい(坂田聡「室町時代の百姓の家」『村の戦争と平和』)。幼少期には誰もが「犬次郎」「松丸」「観音太郎」といった動植物や仏神の名を含む童名で呼ばれたが、成人すると官途成という儀式を行って「和泉大夫(和泉の国司の事)」「左衛門(左衛門の府のこと)」等と国司や中央官庁の官職を自称するようになる。これらは村の鎮守の神社で多額の費用をかけて儀式を行ったため、上層住民の特権であったとのこと。坂田によれば、その他の民は己の氏を含む名(清原氏なら「新清」、藤井氏なら「藤次郎」など)や数字+郎(「一郎」、「三郎」)、さらにその上に「孫」「助」「彦」等を付けて「孫太郎」「助三郎」等と名乗ったという。


近代の日本人の人名

明治時代に全ての日本人名が「苗字+名」というシンプルな形に統一された。この際、本来の苗字より屋号の方がよく通用するということで、苗字を屋号に置き換えた者もいた。武家出身者には、名として諱を名乗ることにした者もいれば、輩行名、仮名を名乗ることにした者もいた。


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